ククリア学園 紳士二人、乙女二人-7-
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ククリア学園

-Astorni & Isukarna-

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紳士二人、乙女二人-7-

 
 閉館間際の美術館内は人気が殆どないが、それでもまばらには、並ぶ美術品を鑑賞している者がいる。
 彼らは基本的に美術品を観ることに集中しているので、周囲の人間を見ることはないが、それでもマクシムとセリーナ・ギローはさりげない距離を保ちながら、ゆっくりと歩いている。
 二人とも顔を合わせることなく、あくまでも美術品鑑賞をしているように振る舞いながら。
 階段を上り二階の展示室に行くと、より人が少なくなった。おそらく常設展示だからだろう。マクシムはフロアを見回して、一枚の大きな絵画に目を止める。淡い色彩で描かれた風景画だ。階段からの位置が丁度死角になっている。そこに歩を進め、足を止めた。
 セリーナ・ギローが隣に並ぶ。
 そこで初めて二人は向き合った。正面からお互いの顔を見て、笑みを交わす。
「やっと――お会いできた」
「……はい」
「こうして二人でお話ししたいと、思っていました」
「ふふふ……ゆっくりのんびりと、というわけにはいきませんでしたけれど」
「それでも――今は、貴女と二人でいられる。あからさまな人目を気にせずに」
 マクシムはセリーナ・ギローの顔を飽くことなく見つめる。形良く整えられた眉。木の実を思わせる、赤みを帯びた茶の瞳。睫毛が長い。すっきりと通った鼻筋と大きな口元。交流会の日よりも化粧はごく控えめだが、はっきりとした顔立ちが美しい。
 側近くで、変わる表情を見つめられる。そんなことに、この上ない喜びを感じる。
「――お手紙、嬉しかったですわ」
 セリーナ・ギローは白い頬を僅かに紅潮させて、微笑みを浮かべている。
「それは――あのメモを頂けたから」
「本当は、迷いました。大胆なことをする女だと思われたら……と。それに、お渡しする方法も、すぐには思いつかなくて」
「手袋――ですね。あれを落とした人に感謝しないといけないのかもしれませんね」
 何気なく思ったことを言うと、セリーナ・ギローは困ったように眉根を寄せた。
「どうされましたか?」
「いえ……その……」
 口元に右手を添えて、迷うような素振りを見せる。問いかけるように首を傾げて瞳を覗き込むと、小さな吐息が漏れた。
「あの、手袋……実は、弟の物で……」
「――弟?」
「はい。アストルニ学園の中等部に通っているんです」
 記憶を辿る。マクシムは大まかにだが、相当数の生徒の事を記憶している。整理されている情報を順番に取り出して、閃く。
「ギロー……中等部三年のジェラール・ギロー君……ですか?」
 セリーナ・ギローは目を丸くした。
「そうです――まあ、弟の事を御存じだなんて。ひょっとして……何か会長様を煩わせるようなことでも致しましたでしょうか?」
 不安そうな顔に、笑って首を振る。
「いえ。彼は確か中等部三年で、成績上位の方だったかと。それで記憶に残っていたのです」
「そうでしたか……弟は、真面目で要領もいいんです。ですから勉強の方もちゃんと出来るみたいで」
「そのようですね。そして……あの手袋は」
 淡く染まっていた頬の色が濃くなった。
「あのメモを、貴方に渡そうと控室を出たのですが、その時は渡す方法まで考えてなくて。テラスハウスの正面玄関まで来て初めて、直接渡すのでは目立ちすぎてご迷惑になってしまう事に気付きました。なので方法をあれこれ考えたのですが結局思いつかず……諦めようかと」
 マクシムは息を呑む。あのメモを貰えなかった可能性があったことに、胸が痛んだ。
「そこで、弟に声を掛けられたんです。少しお互いの近況を話しているときに、弟が手にしている手袋が目に入って――思いついて」
「――なるほど。では私はジェラール・ギロー君に感謝します。彼があの日、貴女を見つけて、声を掛けてくれたことに。そうでなければ、今、こうして貴女と会うことが出来なかったのですから」
「はい……ジェラールには迷惑をかけてしまいましたが……私も、あの時、弟が来てくれて良かったと思っています。サー・マクシム・マレットとまたこうしてお話が出来たから」
 セリーナ・ギローは一度大きく息を吸うと、一歩マクシムの前に進み出た。
「――あの日。私と二人で話したいと仰ってくださった時……光栄です、などと社交辞令的な返事しかできませんでしたが……本当は物凄く嬉しくて」
「――レディー・ギロー……」
「サー・マクシム・マレット。私も、貴方とゆっくりお話ができたらと思いました。だから――嬉しいです」
 視線を絡めて微笑みを合わせる。心が通じている――マクシムはそれを感じた。目の前、手の届くところにいるセリーナ・ギロー。交流会の日よりも、その存在をずっと近くに感じる。
 手が動きそうになるのを、理性で抑える。今は人の目がないが、いつ誰か来ないとも限らない。それ以上に、まだ出会って数日の今、無闇に触れる――そんなことをするのは紳士的ではない。
 自分の中に生まれた感情に戸惑う。セリーナ・ギローにどうしようもなく惹かれて、触れたいと思う自分に。今まで女性と接して、こんな気持ちを抱いたことはない。
「レディー・ギロー」
「――はい」
「出来れば――これからも個人的に、貴女とお会いしたい」
 赤茶の瞳が軽く瞠られる。睫毛が震えて、二度の瞬き。形の良い眉が、少し不安げに寄った。
「……そのお言葉は大変嬉しく思います。でも……アストルニ学園の会長である、貴方が……その」
 彼女はいつもマクシムの立場を気遣ってくれる。交流会の初日、二日目、そしてその後も。
 確かにお互いの環境、立場を考えれば容易ではないだろう。それでも――セリーナ・ギローとの“これから”が欲しい。
 右手を胸元に、少し上半身を屈め見上げてくる顔を覗き込むようにする。
「万難を排してでも、貴女と。貴女にもご迷惑をかけないように必ずしてみせます」
「……サー・マクシム・マレット――ふふふ……自信家ですね」
 実際マクシムには自信がある。これから先を、密かに彼女と過ごせる自信が。それを実現させるためならば、手段を選ぶつもりはないし、労力も惜しまないつもりだ。
 真剣な想いを伝えるつもりで真っ直ぐに見つめると、セリーナ・ギローはふんわりと微笑んで頷く。
「……私も――貴方のお気持ちに応えたいと思います」
 受け容れられた――喜びが全身に広がる。
「――レディー・ギロー……では」
 マクシムはあくまでも紳士的に、セリーナ・ギローの右手を掬い上げる。
「私とこれからも個人的に会っていただけますか?」
 正式な申し込み。このような場でなければ片膝をついたところだ。
 目の前の微笑みは深く、柑橘色の頭が縦に動いた。緩く巻かれた長い髪が軽やかに揺れて、名残をひくように甘い香りが舞った。
「私で良ければ――喜んで」
 承諾の言葉を受け、手の中の白い甲に唇を軽く落とす。今日は手袋がされていない。それでも敢えて、直接触れた。柔らかく、滑らかな肌が心地よい。いつまでも触れていられたらと思う気持ちを抑えて、自然な動きで解放する。
 セリーナ・ギローは解放された右手を胸元に抱くと、恥ずかしそうに笑った。
 そして手にした小さなハンドバッグから、白い布を取り出し、マクシムに差し出してくる。この間の手袋と同じように、何かが包まれているようだ。
 受け取って開くと、木製の柄がついた金属の判が出てきた。判に刻まれているのは、剣を持つ竜。
「――これは?」
「ギローの印璽です。サー・マクシム・マレットに」
 驚きに目を瞠る。
「お手紙を下さる時、この印璽を使っていただければ、たとえ無名のお手紙でも怪しまれませんから」
「――よろしいのですか?」
「特に悪用しているわけではありませんし……ふふふ、でも男女交際厳禁の則を破ろうとしているのだから、やっぱり悪用なのかしら」
 マクシムはゆっくりと息を吐く。感嘆の吐息を。
 ギロー家の印璽。それを封蝋に使える者はギローの家に連なる者だけ。本来はマクシムが持っていいものではないが、確かにこれを使えばどのような手紙を出しても、女学院の関係者から詮索をされることはないだろう。
 弟の手袋を使ったメモの授受といい、この印璽といい、とても機転が利く。やはり、この乙女はただの淑女ではない――セリーナ・ギローの悪戯っぽい微笑みが、胸に沁みる。この女性(ひと)をもっと知りたい――その想いが強くなる。
 丁寧に印璽を包み直し、それを胸元に、深く重々しい辞儀。
「――大切に、使わせていただきます」
 連絡を取ることを容易にしてくれたことを、感謝する。
 セリーナ・ギローは小さく頷いて、小首を傾げた。
「私からのお手紙は如何しましょう。先日差し上げたものは、サー・マクシム・マレットに頂いたもののようにイニシャルで記名いたしましたが」
「封筒も消印も充分に気を遣って頂きました。学園の方はそこまで私信に厳しくはありませんので、問題はないかと思います」
「ならば良いのですが……なるべく目を引かないような形のお手紙を差し上げるつもりですが、ご迷惑になりそうなことがあれば、すぐ申し付けてください」
「――はい」
 視線を交わして、距離を取る。人が歩いてくる気配がしたからだ。
 二人だけの時間が終わる。
 名残惜しいが、その気持ちはおそらく自分のものだけではない――絵画の方に動いたセリーナ・ギローの横顔が淋しそうに見えるのは気のせいではないだろう。
「人が――増えて参りましたね」
 ごく抑えた声が、耳に届く。
「――そうですね」
 同じようにセリーナ・ギローにだけ届くように言葉を落とす。
 彼女は更に距離を取り、小さく頭を下げた。
「では――アイネズの下に戻ります。そろそろ閉館の時間ですし」
「――はい」
 その姿を横目で捉えながら、浅く頷きを一度。
 セリーナ・ギローは身を翻した。
 おそらく彼女はそのまま振り返らずに行ってしまう。交流会の日のように。そう想った瞬間、マクシムの口が動いた。
「レディー・ギロー」
 届かないかもしれないと思った声は、それでもセリーナ・ギローの足を止めた。
 振り返りはしない。マクシムもそちらを見ない。
 そこにいるということだけを意識する。
「私は、貴女を――お慕いしています」
 気持ちを発露させる。出会った時から、胸の内にあり、今日確かに形になったものを。
 やがて
「――私もです」
 熱の籠った震える声が、マクシムの耳に届いた。





 モンブランとアイネズ・フレデリックは、二人が立ち去ってもしばらく『滝の上の乙女』の前で視線を合わせていた。
 睨み合っているつもりはないのだが、視線が逸らせない。相手が逸らさないから、逸らさない。お互いに縛られている。
 しかしモンブランは冷静になった。大きく息を吸って、動きを取り戻す。
「私達も移動しましょうか。この部屋は、おそらく人の入りが多い」
 この部屋に飾られている『滝の上の乙女』は、今回の展覧会ポスターや、チケットにも使われている一番の目玉だ。この絵を目当てにやってくる客も多いはずだ。幸い、閉館間際という時間のため今までは他の客が来ることもなかったが、この後もそうとは限らない。
 アイネズ・フレデリックは、何も言わず、ただ頷いた。
 それを受けて、先に立って歩き出す。少し大股に、しかし充分に後ろにいるアイネズ・フレデリックの歩幅と速度に気を遣いながら。
 フロアを見回すと、ちらほらと人影がある。皆、視線は美術品に向いてはいるが、なるべく人が少ない所がいい。特別展示がされている一階ではなく、常設展示品が並ぶ二階の方が人が少ないだろうと思われたが、おそらくそちらには、マクシムとセリーナ・ギローが行っているだろう。
 絵の飾られた通路を流すように見る振りをしながら、進む。やがて一階の奥、先ほどの小部屋より広めの部屋にたどり着いた。中央に大きな彫刻が置かれ、反対側が見え難くなっている。
 モンブランは小部屋に入り、彫刻の裏に回る。入口の方に注意していれば、誰かが入ってきてもわかると思われた。足を止め向き直ると、アイネズ・フレデリックも後に続いてくる。適度な距離を保って、足を止めた。
 アイネズ・フレデリックの硬質な視線が、再びモンブランに向く。そのまま受ければまた縛られることがわかっていたので、モンブランは目を眇め、軽く肩を竦めた。
「貴女も、謀られた口ですか」
 言葉の意図がわからなかったのか、細い眉が寄った。
「今日、我々が来ることを聞いていなかったのでは?」
「ああ……」
 アイネズ・フレデリックは短く笑った。
「そうですね……。この展覧会は、美術担当の教師から見ておくように言われていて……。セリーナが行くならば今日がいい、と。それで、参ったのですが」
「なるほど。おそらく――空いているだろうから、と言われたのでは?」
「――ええ。セリーナはあの『滝の上の乙女』をゆっくり観たいから、人が少ない方がいいという希望でした」
「確かに、休日ではあの絵の前は一番混雑するでしょう――そして、貴女はその言葉を受け容れた」
「……断る理由も、拒否する理由もありませんでしたから。そうして一番最初にあの絵の前へ」
「そこへ、私達が現れた」
 金色の頭がゆっくりと縦に動いた。
「驚きましたが――納得もしました。セリーナとサー・マクシム・マレットは手紙のやり取りを二度ほどしていた……だから、いつかはこうして二人で会う機会も作るのだろうと。……でも」
「私がいることまでは――納得してない」
 薄い笑みを向けると、また短い笑いが落ちた。
「……セリーナは、お節介をしただけだと」
 モンブランも笑みを深くする。
「私もマクシムに同じことを言われました――ちょっとしたお節介をしただけだ、と」
 赤い瞳の奥を探る。そこに映る自分ではなく、想いを探すように。
 何故だか、アイネズ・フレデリックも同じようにしているのだと思われた。
 モンブランと付き合いの長いマクシムが、自分の為に、お節介をしたと言った。
 そして、アイネズ・フレデリックとおそらく付き合いが長いのであろうセリーナ・ギローが、彼女の為にお節介をしたと言う。
 それならば、おそらく彼女も――姿勢を正す。
「レディー・フレデリック」
「――はい」
「私は言葉を飾ることが得意ではない。ですから単刀直入に申し上げる」
 アイネズ・フレデリックも釣られるように背筋を伸ばし、姿勢よくモンブランに対峙してくる。
「私は、貴女に興味がある」
「――興味、ですか」
「私から目を逸らすことのない貴女に」
「それは……貴方も、ではありませんか。貴方も、私から目を逸らさない。だから、私は――」
「そうですね――お互いに逸らせない……その理由が知りたい」
 どちらかというと表情に乏しい人形のような顔が、戸惑いの色を帯びる。モンブランの言葉を受け止めて、反芻しているようだ。
「そして、あの日、交流会の二日目にお会いした時――私に、遅い、と言われた理由も教えて頂きたいと」
「――!」
 息を呑む音が聞こえた。赤い瞳が丸くなった。唇が何かを紡ごうと動くが、何も零れては来ない。
 モンブランは、アイネズ・フレデリックに向ける視線を和らげる。
「貴女はあの言葉を、無意識に仰った――だから、今、おそらく貴女自身も理由を答えられないのでは?」
「……そう……ですね……」
「けれど、それは、これから私と関わることで見つかることかもしれない」
「サー・モンブラン・ビーニャスと……関わる……」
「はい――そこで、マクシムがレディー・ギローにそうしたように、私からも貴女に手紙を送らせて頂きたい」
「手紙……ですか」
 また眉根が寄っている。口元を片手で覆って、思案する風情。
「……私は、お話しすることも得意ではありませんが……手紙も、あまり……」
 モンブランは笑う。何となくそうではないかと思っていた。何故なら
「私も同じだ。言葉を尽くすのは、音にするのも、綴るのも得手ではありませんよ」
 おそらく自分と、彼女は似ているのだろう――だから、逸らせないのかもしれない。
 アイネズ・フレデリックは瞳を瞬かせ――淡く微笑った。
「――わかりました。では……住所は、サー・マクシム・マレットに伺ってください」
「――はい」
「それと……」
 大きく一度息が吐かれ、アイネズ・フレデリックは少し身をかがめた。制服のスカートを抓んで、優雅に頭を下げてくる。初めて見る、彼女の淑女然とした振る舞い。セリーナ・ギローの洗練された動きに勝るとも劣らない。
 モンブランは、我知らずその動きに見惚れる。
「先日は、ありがとうございました――あの時は満足にお礼もせず、失礼を致しました」
「――いえ。私の方こそ、きちんとしたご挨拶を貴女にしていない」
 前かがみになり、小さな手を取り上げる。体が硬くなったのが伝わってきたが、拒絶はされなかった。
「レディー・フレデリック――後程、お手紙を差し上げます」
「…………お待ちしています」
 モンブランは、触れるか触れない程度、ほんの微かに唇を白い手甲に寄せた。





 ファルケ美術館から地下鉄で中央駅方面へ一駅。ハールガーデン駅からほど近いところにある、ラゴル亭。家庭的な料理が取り揃えられた食堂だ。美味い料理が手ごろな値段で食べられるということもあり、昼夜問わず賑わっている。
「嵌められたことだし、やはり最低でも一皿何か奢ってもらうぞ」
 メニューを睨みながらモンブランが憮然と呟けば
「フフッ――だから、嵌めてもいないよ……お膳立てしただけで」
 マクシムは楽しげに笑う。
「物は言いようだ」
 大皿の料理を幾つか注文する。ともすれば酒でも酌み交わしそうな雰囲気だが、当然そんなことはしない。代わりに炭酸入りの飲料を二人は口にしている。
「で。どうだったんだ。ちゃんと“これから”の約束は出来たのか」
 単刀直入な問いに、マクシムは切れ長の瞳を少しだけ瞠って、口の端を上げた。
 制服の内ポケットから、セリーナ・ギローから貰った白い布包みを取り出して、テーブルに置く。モンブランはそれを見て、マクシムを見た。頷きがされたところで、手に取る。布を開いて、包まれていた判をそっと手に取る。
「これは――印璽、か。……剣を持つ竜」
 マクシムは少し身を乗り出して、小さな声でモンブランに囁く。
「ギロー家の印璽だよ。レディー・ギローに頂いた」
「ギロー家の……。……! それは――」
 眼鏡の奥の瞳が瞠られる。呆然と手の中の印璽を再度確認する。判の意匠は丁寧に細かく刻まれている。竜の鱗の一枚一枚、剣の柄のごく小さな飾りにも手抜きがない。しっかりとニスが塗られた重厚な色合いの木製の持ち手は、手にした時に馴染むよう優雅な曲線を描いている。間違いなく高級品だ。
「これを使って封蝋をすれば、たとえ無記名の手紙でも、怪しまれないから――と」
 あの時のマクシムと同じように、感嘆の吐息をモンブランも漏らす。
「よくもまあ……機転の利く……」
「――本当に。あの方は、やはりただの箱に入った乙女ではない」
 しみじみと言うマクシムの顔は、いつもよりもずっと優しい笑みを纏っている。
 モンブランはもう一度判に刻まれた紋章を眺めてから、丁寧に布で包み直した。マクシムに返す。
「交流会初日の物言いと言い、この印璽と言い。本当になんというか……こう言ってはなんだが変わった方だな。イスカルナの乙女というものはもっと、世間知らずのお嬢様が多いのかと思っていたが」
「僕もそう思っていたし、妹の話によれば、実際そういう方も多いようだよ。でも、この交流会で僕らが関わった方は、皆、その思い込みからははずれているね」
 思い返されるのは、女学院生徒会の面々と、今日再会をした二人の乙女。
「けれど――僕にはそれが、好ましい。これから先、もっと本当のあの方を見せてもらいたいと思っている。今はまだ、イスカルナの乙女という衣装を纏っていらっしゃるけれど」
「フッ――それは君も同じだろう。アストルニ学園の紳士という衣装を纏っているはずだ」
 揶揄して笑うと、マクシムは肩を竦めた。
「確かに。こうして貴方と話している時とはまるで違う物言いで接しているね。もちろんその内僕も、あの方と普通に接したいと思っているけれど」
「身についているから不自由はないとはいえ――肩は凝るしな」
 言いながら片手で肩を解しはじめるモンブランに、マクシムは笑みを返す。
「貴方もアストルニ学園の紳士という衣装を纏って、レディー・フレデリックと話したのだろう? ――どうだったのかな?」
 眼鏡の奥の瞳が瞬いて――逸らされる。
「僕に嵌められた結果が知りたいな」
 モンブランは黙ったまま、揚げ物を口に入れた。
「モンブラン。僕としては――」
 マクシムの顔から笑みが消えて、鋭い光を持った視線がモンブランに据えられる。
「“貴方が、同志になったのかを知りたい”」
 口の中のものを飲み下し、視線を正面から受け止める。赤い瞳と鳶色の瞳が、お互いを探り合う。しばらくの無言。
 やがて眼鏡をそっと押し上げるようにしながら、モンブランが息を吐いた。
「マクシム」
「ああ」
「寮に帰ったら――住所を教えてくれ」
「――!」
「レディー・フレデリックの住所を」
 マクシムは破顔する。今の言葉と、モンブランの赤くなった耳が、今日アイネズ・フレデリックとあったことを物語っていた。
 きまり悪そうな、むず痒そうな顔が、マクシムの笑みを深くする。
「わかった。帰ったらすぐにでも――と、なると、次にレディー・フレデリックにお会いするときにでも、お願いした方がいいな」
「? 何をだ」
「貴方も“これを”頂いたらいい。レディー・フレデリックに」
 示されたのは、マクシムの手元に置かれたままだった布包み。
 モンブランは目を剥いた。
「――フレデリック家の印璽を……だと……?」
「女学院の乙女様方と手紙のやり取りをしようと思ったら、細心の注意を払わないといけない。乙女様方に傷をつけるわけにはいかないからね」
「それはそうだが、そんな不躾なことを俺から……?」
「そうした方がいいと思う。僕とレディー・ギローの話をすれば、否という答えは返ってこないと思うけれど……」
 布包みを元の場所に仕舞いながら、マクシムは思案するように視線を上向ける。
「いや、貴方から言う必要はないかもしれないな」
「?」
「おそらく今日の話をお二人も僕たちと同じようにしているだろう。レディー・ギローも、レディー・フレデリックが貴方と手紙のやり取りをすることになったと聞くに違いない。そうなれば、間違いなくあの方は、レディー・ギローは自分と同じようにすることをレディー・フレデリックに勧めるだろうから」
 モンブランは鼻からゆっくり息を吐いた。間違いなくマクシムの言うとおりになると思う。
 けれど。
「――だが、マクシム。俺は手紙のやり取りは了承してもらったが、別にまたすぐに会うつもり――」
 最後まで言えなかった。マクシムが首を横に振ったことで遮られた。
 目線だけで問い返すと、大きなため息が一つ。
「僕としては次は、レディー・ギローと休日にゆっくりお会いできたらと思っている。なるべく近い内にね。そうなると、どうなると思う?」
「……何が、どうなると?」
 マクシムは両手を上向ける。
「レディー・ギローとレディー・フレデリックは同室で、それ以上におそらく常に一緒にいると思われる。当然休日も。それなのに僕がレディー・ギローの休日を頂いてしまったら――どうなる?」
「ッ……そういう、ことか……」
「もちろん別行動をすることもないではないのだろうけれど……。交流会で聞いた話では、ずっと小さい頃から一緒にいらしたそうだからね。一緒にいることが当たり前なのだろう」
「確かに、あのお二人を見ていると“一対”という言葉が相応しいような気がするな……」
「その通り。多分僕らにとって一番のライバルは、他の男でもなんでもなく、同室の幼馴染の女性なのではないかという気がする」
 視線を合わせて、苦笑い。
 モンブランは火で炙ったソーセージを噛み千切る。
 マクシムは揚げ物を口に入れた。
「なるほど――だから、同志、か。君がレディー・ギローを誘う時に、俺が……と」
「まあ、そういう思惑もあった。でもどちらかというとそうではなくて」
「そうではない?」
「レディー・フレデリックは、レディー・ギローにとって大切な方だ。それをもちろん僕も尊重したい。あの方が大切にするものは僕にとっても大切なものだ。だから今後、レディー・フレデリックにもちゃんと関わらせていただきたいと思ってる。そして、その時に――貴方がレディー・フレデリックの側にいたら心強いし、嬉しい……と」
「――マクシム……」
「何しろ、貴方もレディー・フレデリックを――と思ったからね」
 炭酸飲料をゆっくりと飲み始めるマクシム。少しだけ頬に赤みがさしている。
 モンブランは口を横に引いた。
「――わかった。それならば、お互いにある程度、この件に関しては予定を合わせた方がいいということだな」
「そう出来れば、嬉しい。次の機会は可能であれば今日のような形ではなく個人的にお会いしたいけれど」
「さて――問題は、俺があの方を連れ出せるかどうか、だが」
「僕の勝手な所見だけど、レディー・フレデリックはまったく気が進まない相手とそもそも手紙のやり取りをしようとは思わない方だと思う。下手をすれば口をきいてももらえない」
 モンブランは片眉を跳ね上げる。マクシムは長い事学園生徒たちの上に立つようにして、大勢の人間と関わってきた。そのせいか人を見る目がある。彼の所見はだいたい正しい。
 そしてアイネズ・フレデリックに関する所見は、マクシムより関わりの深いモンブランも感じている通りのものだ。
「だから、多分、よっぽどでなければ貴方の提案を断ることはないのではないかな」
「――だといいんだが。正直に言えば、連れ出すにしても何をすればいいか、まるでピンと来ないが」
 意図せず情けなくなってしまった物言いに、マクシムは声を立てて笑った。
「ははははは。それは僕だってそうだ。今まで女性と関わったことがないわけではないけれど、こうした気持ちで二人で出かけるとなると、どうしたものかなと」
「君がそれなら、俺ではさっぱりだ」
 笑いを揃える。二人はしばらく楽しげに笑った。
 笑いながら、テーブルに並ぶ料理を片付けていく。笑いと、美味い料理が空気を和ませる。
「モンブラン」
「――ん?」
「しばらくはレディー・ギローと二人でお会いできたらと思っているけれど、いずれ四人で過ごすことが出来たらいいな」
「気が早いな。そもそも俺も、もちろん君も、このまま巧くいくとは限らない。イスカルナの壁は高いぞ」
「何を弱気なことを。僕は、僕らなら出来ると思っているけれど?」
「クッ……自信家だな」
「貴方は自信がないのかい」
 挑発的な笑みに、口の端を上げて見せる。
「さて――どうかな。高いイスカルナの壁を越えて、その上で、彼女たちの眼鏡に適うかどうか」
「フフッ――健闘を祈るよ」
「――お互いにな」
 炭酸飲料の入ったグラスを手に取り、どちらからともなく合わせる。
 二人の浮かべる笑みは、不敵に深い。
「ところで」
「ん?」
「君には、この皿の代金を持ってもらうからな」
 モンブランが示したのは、ラゴル亭の看板料理でもある季節魚のグリルの皿。旬の魚を丸のまま焼いて、特製のソースをかけたものだ。注文した中では一番値が張る。
 マクシムは大きく笑いながら、頷いた。
「ああ、わかった。元々奢るつもりだったし、それくらいは。なんなら飲み物の代金も持ってもいい」
「――そうか。なら追加するか」
「フフッ。構わないけれど、もうそんなに時間はなさそうだよ」
「ん……七時十五分か。確かにそろそろだな」
「僕らが多少門限を過ぎても、何も言われないだろうけれど――“これからのことを考えれば”こういうことはちゃんとしておいた方がいいだろうから」
「――そうだな」
 二人は薄い笑みを交わし、皿に残った料理をそれぞれに始末した。



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