ククリア学園 Hot Brandy Milk -Teatime of MM-

ククリア学園

-Astorni & Isukarna-

Hot Brandy Milk -Teatime of MM-

 
 ぽっかりと目が開いた。開けた、ではなく、開いたという言葉が相応しいように。今まで目を閉じていたことを、意識出来ていたわけではなかった故に。
 室内の隅の方にはすっかり闇が降りている。ぼんやりと抑えめの灯りがベッド頭上の棚に置かれたランプから漏れていて、それが闇の完全支配を妨げている。
 体を起こそうとして出来ない。全身が鉛のように重い。動かすのも困難だ。体中を熱が支配しているのがわかるが、それを裏切るように寒くもあった。
 起きるのをとりあえず諦めて、深く息を吐く。喉が渇ききっている。漏らした息はいつも以上に熱を持っていた。
 ぼんやりと熱の籠った頭で、そういえば風邪を引いたのだと今更ながらに思う。今年の冬は例年になく冷え込んでいる。不覚にもその寒さにやられてしまったらしい。普段から健康管理には気を遣っていたつもりだったが、此処の所、様々な雑事に追われていた為に疲れがたまっていたせいかもしれない。
 高い熱が出て、無理をするなとベッドに押し込められたのが今朝方のこと。何度か目が覚めた気がするが、しっかり覚醒したのは今が最初だ。
 部屋が暗いと言うことは、もう夜になっているということで、どのくらいの時間が経ったのか、ひょっとして丸一日以上経ってはいないかともう一度体を起こそうと試みたところで、小さな笑いが聞こえた。
「やっぱり起きたのか」
 上半身をなんとか少しだけ起こして、声の方を見れば、マクシムが手ぬぐいと洗面器を持って困ったように笑っていた。そのまま近づいてきて枕元の棚に洗面器を置き、手拭いを水に浸した後、ベッド脇に置かれた椅子に――普段は机の側にある椅子だ――腰かける。
「寝返りを頻繁にうっていたから、眠りが浅くなっているのかと思っていたんだけれど」
「――どれくらい……経った……」
 掠れてひび割れた声はまるで自分の物ではないようだ。
「大丈夫、まだ貴方が熱を出した日の夜だよ。丸一日以上寝たりはしていない」
 見通されている。
「ずっと寝ていたようだけど、でもまだその様子だと――」
 額に手が当てられる。冷たく乾いた感触。
「やっぱり朝ほどではないけれど、まだ熱は下がっていないね。とりあえず起きたのなら、これで熱を測ってくれ」
 体温計を受け取って、なんとか脇に挟んだ。
「それと朝に飲んだ薬を、もう一度飲まないと――その前に腹に何か入れた方がいいとは思うが、食欲は?」
「……あまり……」
 腹の中は空っぽだが、不思議と食べようという気力がない。無理に食べても胃が受け付けそうもない。
 マクシムは息を吐くと、僅かに肩を竦めた。
「仕方がない、か。食べた方がいいとは思うけれど、酷く辛そうだから」
「――面目、ない」
 力の入らない言葉に、マクシムは細かな笑いを立てる。
「気にすることはない。まあ――皆、鬼のかく乱だと落ち着かなげにしているけれど。貴方のいない隙に羽根を伸ばしてなんて考えを起こしたりもせず、むしろ貴方が風邪に倒されるなんて何か起こるんじゃないかと畏れてる風だよ」
「――チッ……まったく……」
 容易に想像がつく有様だが、それも仕方がないとは思う。こんなにひどい風邪を引いたのは何年振りかというくらいに記憶がない。初等部の頃に一度学園全体で風邪が流行った時も、こんな状態にはならなかったような気がする。
 体調を崩すことがないわけではなかったが、半日以上寝込んでなお快復していないということはなかった。熱い息を天井に解き放つ。
「今日の……授業は……」
「急な小テストなどはなし。ただ英語で課題が出ている。貴方の分もそのプリントは貰ってあるから、快復したら渡すよ。必要ならば説明もする。ノートはすべてとってあるから心配しなくてもいい」
 もちろんそんなことは心配はしていない。あてにしているわけではないが、こういう時にこれ以上頼りになる人間は他にいない。おそらく何日寝込んだとしても、マクシムならば完全にフォローしてくれるに違いないと思う。
「――そろそろ、かな」
 時計を見るマクシムの呟きに、体温計の事を思い出す。手に取って翳してみれば、水銀は三十八度手前に届いている。大きくため息を吐いて、差し出された手にそれを渡す。同じようなため息が聞こえた。
「朝よりは低くなったが、やはりまだ高いか」
「朝は――」
「貴方は見てなかったけれど、三十八度を越えていたよ。朝はね」
 水の音がした。顔を巡らせると、マクシムが枕元に置いた洗面器の手拭いを絞っていた。絞った手拭いを開いて手早く折りたたむ。程なくして額に冷たい感触――手拭いが置かれた。
「薬を飲んで寝た方がいい。ずっと寝ていたから眠れないかもしれないけれど」
「ン……冴えている……な。それに――少し寒い」
 眉根が寄った。困ったような、渋い表情になる。
「熱がまた上がりはじめているんじゃないか? 上掛けは充分だし、室温も適温なんだが――」
 口元に手を当てて思案する風情。やがて切れの長い瞳が閃いた。
 マクシムは立ち上がると、調理台へ歩いて行った。何かを移動させたり、取り出している音と、鍋を動かす微かな金属音、コンロに火を入れる音がした。
 それを遠くに聞きながら、眠気を探す。目を開いた瞬間に体の中から霧散したそれは、なかなか捕まりそうもない。あるのは熱と、それを裏切るような寒さと、全身に広がる気だるさ。
 ぼんやりと闇の滲む板張りの天井に視線を泳がせる。こういう時は何故か、天井の木目の一つ一つや染みに意識が向く。それを認識して特に何かを思うわけではないが。意味もなく木目の数を数えているところで、気配がした。
 天井から視線を動かすと、マクシムが側に戻ってきている。両の手にマグカップを一つずつ持って。
「起きられるかい?」
 頷いて、額の手拭いを除け、腕に力を入れる。両肘をベッドについて上半身を持ち上げる。本当は物凄く力が必要だったが、不自由を悟られたらおそらく介助されてしまう。それはなんとなく遠慮したかった。
 どうにか起き上がることに成功する。頭がふらついたが、それもなんとか抑えた。
 マクシムは頷いて、右手に持っていたマグカップを差し出してくる。
「熱いから、気を付けて」
 両手で包み込むようにして受け取る。白い液体がなみなみと満たされている。
「――ミルク……か。これは……」
 寮の部屋に冷蔵庫はない。故に保存がきくもの以外は置くことが出来ない。
 マクシムは椅子に腰かけながら笑った。
「夕飯の時に、買っておいたんだ。今夜はともかく、明日の朝にでも飲むこともあるかもしれないと思ってね」
 相変わらず用意がいい。薄く笑って、マグカップを口に近づけると、僅かに刺激のある匂いが鼻腔をくすぐった。
「……ブランデー……」
 呟きに、悪戯っぽいものがマクシムの顔に乗る。
「貴方がたまに紅茶に入れてくれるヤツを拝借した。寒いと言っていたからね。きっと温まる」
 調理場に密かに常備されている、ブランデーの小瓶。もちろんそのまま飲むためではない。ごくたまに茶に一匙淹れて飲むのに使っているものだ。特にこうした冬の日に、体を温める為には重宝する。
 少し啜ると、体の中にじんわりと馨しさを含んだぬくもりが広がっていく。
「……君に、飲み物を淹れてもらうのは……なんだか」
「珍しい気がする?」
「……ああ」
 中等部に入ってから同室になり、親しくなってから三年。何となく、二人で寛ぐときに飲むものを淹れるのは、いつも自分がしている。特に申し合わせて決めたわけではなかったが。
「僕もお茶やらを淹れられないわけではない。だから、たまには僕がやった方がいいというならもちろんそうするよ」
 そう。マクシムに出来ない事はおそらくない。彼はなんでも卒なくこなす。紅茶も珈琲も見事に淹れてくれるはずだ。
 けれど。
「ただ――多分、貴方が淹れたものの方が美味い、と僕は思うけれど」
 マクシムはのんびりとホットミルクを口にしている。
 その澄ました顔に、笑みを誘われる。
 喉を滑り落ちる温かな液体が、心地よい。
「――明日の朝の珈琲は……俺が、淹れる……いつも、通り」
 視線を逸らして、小さく落とした呟きは、それでもちゃんと届いたようだ。微笑みの気配がした。
「さあ。それを飲み終わったら、薬を飲んでまた横になるんだ。寝て治すのが一番だからね」
 ブランデー入りのホットミルクが胃を満たして、全身に優しい温かさを広げてくれたからか、熱による気だるさとは違ったふんわりとした感覚がある。
 また眠れそうな気がした。



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