ククリア学園 Alles-für-sich-Behalten~Teestunde~

ククリア学園

-Astorni & Isukarna-

Alles-für-sich-Behalten~Teestunde~

 
 九月第二週の頭。
 地方へ嫁に行った姉からモンブランに手紙が届いた。
 夏季休暇の帰省ではタイミングが合わず会うことが出来なかったので、こちらの様子を気遣う数行から始まっている。それからしばらく、随分と顔を見ていない甥っ子の近況が長々と続いているのには、苦笑を禁じ得ない。
 結局用件は、その更に下の方数行で、そこまで行くまでにここ二年ほどの甥っ子の成長ぶりをしっかりと読む羽目になった。どうやらやんちゃな盛りのようだ。
 愚痴混じりではあるものの、完全に親馬鹿そのものの報告の先には、別紙を見る様にと書いてある。重なった便箋の二枚目は物が違う。更に、便箋よりも小さな栞程度の紙片が二枚挟まっていた。
 めくってそちらに目を落とす。一行目には『オータムナル・ティー・セレモニー』と印刷されている。そう言えばそろそろ秋の新茶の時期。休日に外出するついでに、幾つか見繕って来ようと思っていたところだ。興味を引かれて読み進めてみれば、タイトル通り、秋の新茶の展示試飲販売会の案内である。小さな紙片は、その招待券。
 一枚目の姉からの手紙の続きに目を戻す。姉曰く、義兄の知り合いから貰ったものだが、自分たちには多少距離が遠い。そちらならば行くには丁度いいだろうから休みの日にでも行ってはどうか――とのことだが、先に幾つかの紅茶の銘柄が書かれていて――なんのことはない、代わりに参加して茶を買って送れと言う催促である。
 ちゃっかりしている姉に、モンブランは笑う。どちらかというと子供の頃は大人しい印象だった姉は、結婚し、子供を産んで逞しくなったようだ。
 再度、二枚目の案内状を見る。日時は来週の土曜。場所はなんと今や勝手知ったる、聖イスカルナ女学院との交流会会場の庭園である。
「――ふむ」
 モンブランは案内状と招待券を見て、短く息をつく。
 場所は当然行けない場所ではない。催しの内容としては興味がある。しかし日程的には、少々悩むところだ。まさにこの催しが行われる庭園で、来月の頭に秋の交流会を行う予定になっていて、その開催までもう一か月もない。現在その準備に非常に多忙と言える。
 実際ここのところは休みも返上して、モンブランは仕事をしている。もちろん、同室のマクシムも――彼は机に向かって、大量の書面に目を通している。すべて交流会に関するものだ。二度目ではあるが、すべて前回と同じとはいかず、なんらかの変化が欲しいという要望が教師陣、女学院側から出されており、その調整、方向性に悩んでいる。
「マクシム」
 控えめに声をかけると、マクシムはすぐにこちらを振り返って笑った。
「ん? 何かお姉さんからの手紙に、楽しい事でも書いてあったかい」
「いや――これなんだが」
 手紙ではなく別紙とチケットを手渡す。
 マクシムは素早く別紙に目を滑らせて破顔した。
「そうか、もうオータムナルが出る時期か。そのイベントの案内状――場所があのガーデンテラスとはまた」
「フライダでの大きなイベントとなると、あそこは会場としては絶好だからな」
「そうだね。広くて許容力がある――これも随分と大がかりなイベントのようだ。なかなか楽しそうだけれど、招待チケットが二枚、か」
「姉が貰ったはいいが、遠方過ぎて行けない、だから代わりに参加して茶を見繕って来いと」
 苦笑いを向けると、マクシムは楽しげに声を立てて笑った。
「フフッ――なるほど。お姉さんのお達しでは断れないね」
「ただ日程的にな……秋の交流会の準備もある」
「確かに、今は準備になるべく時間を取りたいところだけれど、一日くらいなら大丈夫じゃないかな。さすがの僕達でも、たまには休暇も必要だ」
 マクシムが大丈夫というのなら、そうなのだろうとは思う。モンブランに気を遣って言っているのではない事は明白だ。やれることやれないことに関して、マクシムが取り繕い誤魔化すことはないし、モンブランも同じくそう思う。
「それでは、せっかくだから、一緒にどうだ。チケットは二枚ある」
 二人で茶を飲むときに茶を淹れるのはいつもモンブランの役目で、茶葉の選択もすべて一任されているが、マクシムがこうしたことに興味がないわけではないのは知っている。マクシム自身も見事に茶を淹れられるだろうに、すべてモンブランの好きにさせてくれているのだ。
 マクシムは鳶色の瞳を瞠って、二度、瞬いた。首を傾げて、小さく笑う。
「確かに面白そうな催しで興味はあるけれど」
 二枚のチケットと、案内状が差し戻される。
「こういうことは僕でなく“他に誘うべきひと”がいるんじゃないかな」
「――」
「こういったイベントなら、否、という返事は多分返ってこないと思うけれど」
 真っ直ぐに向けられる視線を受け止める。呼吸が僅かの間、止まっていた。
 他に誘うべきひと――それはマクシムに言われるまでもなく、最初に思い浮かべていた。けれど、やはり時期の事を考えると、後ろめたくもあって――マクシムは深い笑みを顔に刻んでいる。
「僕に気を遣う必要はないよ。貴方が美味しいと思ったお勧めの紅茶を幾つか買って来てくれたらいい」
 当然のように見抜かれている。本当に敵わない――くすぐったさを覚えながら、短い笑いを落とす。封筒に手紙と案内状、チケットを丁寧に畳んで戻した。
「では、幾つかいいものを見繕って来よう。これから仕事をする時間が増えるとなると、茶を飲む機会も多くなる。そんな時に飲みたくなるようなものを」
「フフッ――楽しみにしているよ。貴方が淹れてくれる貴方のお勧めの紅茶を飲みながらなら、きっと仕事も捗る」
 笑みを合わせて、頷きを一つ。マクシムは再び机の方を向いた。紙の上をペンが滑る音がする。
 モンブランも自分の机に向かう。手紙を置いて、引き出しからレターセットを取り出す。なんでもない白のシンプルなレターセット。いつも使っているものだ。
 文面を考えながら席に着く。最初は当然相手の名前――アイネズの名前から。その後はいつも通り簡単な時候の挨拶と、手短に用件を書く。長い説明は面倒なので当然省くために別紙を同封する。その上で、別紙催しに付き合って欲しいと端的に申し込む。付き合ってくれないか?――などという伺いは立てない。そう言ったものはアイネズとの間に最も不要なものだ。
 アイネズは完全に気が向かない物事でなければ、モンブランの誘いを断ることは――セリーナとの約束が無い時に限りはするが――ない。だから、今回も断られることはまずないとは思うが――
「――モンブラン」
 マクシムの声。顔を巡らせれば、椅子の背に寄りかかるようにしながらこちらを振り返っている。
「日程はいつだったかな?」
「来週の土曜だが」
「そうか――それじゃあ」
 口元に手を当てた、どこか悪戯っぽい微笑みが浮かぶ。
「その日は僕もセリーナさんを何処かへ誘おう」
 そう。
 それは誘いを確実に受けてもらうために“最も必要な要素”。
 モンブランは薄い笑みを礼に代えた。


     ◇


 当日。モンブランはガーデンテラスの入り口でアイネズを待っていた。
 服装はイベントの性質に合わせて、普段好んで着る楽なものよりも制服に近い硬いものにした。マクシムと二人ならば制服で何も問題がなかったところだろうが、アイネズとでは、そういうわけにもいかない。
 交流会の関係でガーデンテラスの支配人と懇意にしていることもあり、着替えに関してはテラスハウスを使用させて貰うことが出来た。
 アイネズはおそらく家を経由し、車でやってくるはず――程なくして予想通り、フレデリック家のエンブレムが輝くリムジンが滑り込んできた。モンブランの前に狙い澄ましたように停まる。
 後部座席の扉が静かに開いた。揃えられた小さな足が車外に覗く。身体を屈めて右手を差し出すと、白い絹の手袋に包まれた左手が添えられた。
「――ありがとう」
 小さな礼の言葉に笑みだけを返す。体重をそっと預けてくるところをしっかりと支えて立たせる。ほぅ――っと小さな吐息が漏れた。
 アイネズは運転席に近寄り、運転手と二三言言葉を交わし、夕に迎えに来てくれるように頼んだ。
 走り去るリムジンを見送って、再び吐息が一つ。アイネズはモンブランの方へ体を向けた。
「今日は、ありがとう」
 どうやら機嫌が良いようで、微笑みが柔らかい。
 今日のアイネズの装いは、秋と言う季節に相応しい濃いワインレッドのワンピース。襟元と袖口、裾から覗く白い生地が、大人っぽさの中に愛らしさを添えている。下ろした髪には、服の色と揃いのリボン。
 どちらかというと身なりにそこまでの拘りがないアイネズ。そんなアイネズを着飾るのはセリーナの役目。おそらく今日もセリーナが服装を決めたのだろう。
 セリーナの見立ては間違いがない。アイネズの魅力をこれ以上ないほど引き立てる。
「――いい服だな」
「そう?」
「季節に、相応しい――似合っている」
 端的に感想を述べると、また柔らかい微笑みが浮かぶ。目元に赤みが僅かに指して、瞳が恥ずかしげに細まった。
 そんな様に心が温かくなるが、特には言葉にしない。
「では、行くか」
 誘いに小さく頷きが一つ。
 モンブランとアイネズは、ゆっくりと庭園内に足を踏み入れた。


     ◇


 茶の販売会場である西庭には、色とりどりのテントが店舗として幾つも軒を連ねていた。
 そして庭全体に立ち込める、何とも言えない馨しい香り。様々な種類の茶がこの場に存在していることを教えてくる。
 アイネズは庭園内を見回して、瞳を瞬かせた。深く息を吸って、長く吐いている。
「……凄いわね……凄くたくさんの、お茶の匂い……」
「――そうだな。目ぼしい産地の茶はすべて。国内外の有名メーカーから、老舗、小さな店舗。なかなか普通には手に入らないような異国の茶も並んでいるようだ」
 入口で配布された出店一覧・会場見取り図を見ながら言うと、感心したような嘆息が一つ。小さな金の頭はそわそわと動いている。普段物事に対する関心が薄いアイネズだが、今は興味を惹かれているようだ。
 端から順に見て行くのも良いだろうが、幾つか目星をつけなければ時間が足りないかもしれない――モンブランも会場を見回す。広い庭園。そこに並ぶテント。そして行き交う大勢の人。大きなイベントだけあって、人の出が凄い。場所によっては人ごみと言っていいほどの状況になっている。
 上背のある自分はいいが、背が高いわけではないアイネズには少し難儀かもしれない。第一彼女は体が弱い。しっかり様子を見ながら動くとしても、はぐれては困る――モンブランはそこまで一気に考えて、腹に力を入れた。
「――アイネズ」
「? 何?」
 右腕を腰の辺りに沿え、赤い瞳をそちらに誘う。意図を察して瞳が瞠られて――柔らかな曲線を描いた。躊躇いがちに、それでもしっかりと細い左腕がモンブランの右腕に絡む。
「順に見て行くか」
「――まかせるわ」
 視線を交わして、歩きはじめる。あくまでもゆっくりと急ぐことなく。なるべく人の多い所を避けるようにしながら。人ごみに足を踏み入れる時は、アイネズの為に彼女を庇いながら自分が盾になって道を切り開く。
 以前はこうした気は回らなかったが、今は違う。最も近くにいる相棒――マクシムの振る舞いが、モンブランに影響を与えている。マクシムは女性の扱いが巧い。セリーナといる時に見せるさりげない気遣いの見事さには感心するほどで、見習えたらと思わされる。それを思い返しながらのエスコート。彼のように自然にとはいかず、ぎこちなさが残りはするが、それでも“アイネズという女性には”気を遣えるようになったと思う。そして、その気遣いはアイネズにちゃんと通じていて、彼女の反応も良い――となれば、微妙な落ち着かなさも受け容れることが出来るというものだ。
 モンブランはアイネズをゆっくりと先導する。アイネズはそんなモンブランに自分を委ねてくる。二人は寄り添うようにして、会場を歩く。
 時々案内図を見ながら、店舗を覗いていく。興味を惹かれた所では足を止めて、販売員と言葉を交わす。茶葉の特徴、淹れ方、飲み方などの解説を聞きながら、試飲をする。モンブラン自身の口に合い、何よりもマクシムの好みであろう味わいの茶葉を探す。選択肢の数が非常に多いため、時には一つの店舗で長い時間を掛けることもある。
 そんな時、アイネズは言葉を発することはないが、話し込むモンブランの傍らで、興味深げに並ぶ茶葉を眺めている。試飲の茶を口にすれば顔がほのかに綻ぶ。アイネズなりに楽しんでいるようで、時折様子を伺うモンブランを安堵させた。
 姉に頼まれた銘柄の茶をしっかりと確保し、自分達用にも幾つか見繕った。それでもまだ覗いた店は半分にも満たない。このまますべての店を覗いていては、山のように茶を買う羽目になるやもしれない――そんなことを思いながら歩いていると、右腕に力がかかった。見下ろせば、アイネズが足を止めている。
「……甘い、匂い」
 形の良い小鼻が微かに動いて、顔が一つの店舗の方に動く。モンブランも釣られるようにそちらを見る。甘い香りの漂う元は、愛らしい飾り付けのされた女性の喜びそうな佇まいの店舗。実際足を止めているのは、若い女性ばかりだ。
「フルーツフレーバーティーの店だな」
「そう……いい匂い」
 興味を惹かれているのが良くわかる。モンブランの腕から手を放すことはないが、体はなんとなくそちらに引っ張られている。
「覗いてみるか?」
 促せば、即座に頷きが一つ。今すぐにでも側に寄りたいという空気が伝わってきて、モンブランの笑みを誘う。
 人の流れを巧く避けながら、アイネズを希望の店に導く。目当ての場所にたどり着いたアイネズは喜びの気配を漂わせて、並ぶ茶葉に視線を彷徨わせ始めた。
「……すごく沢山、色んな種類がある」
「花や果物の果皮を使って香りづけしたものや、花弁や果肉そのものを混ぜたものなどもあるな。花、果物の数だけ、色んなバリエーションがあるから、楽しめる」
「……セリーナが」
「ああ」
「幾つか買ってきて欲しいって言っていて……」
「では、ここで選んで行ってはどうだ。君が興味を惹かれた香りの茶なら、セリーナ殿も喜ぶだろう」
「……そうね」
「他にも好みがあるようなら言ってくれれば、それに合ったものを見立てるぞ」
 釣り目がちの赤い瞳が嬉しげに和む。
 アイネズは何かを心に決めたというように一つ頷くと、茶葉の並ぶ棚に更に近づいた。値札とそれについた説明書きを見ながら、匂いを確かめるようにしている。

 ――これはちょっと甘すぎるかも。
 ――こっちは少し酸っぱい?
 ――もう少し優しい感じがあると……。
 ――セリーナは、きっとこっちの方が……。

 小さく呟きながら、茶葉を吟味するアイネズ。物凄く真剣だ。
 そんなところへ――どうぞ――と販売員が、試飲のカップを差し出してくる。アイネズに一つ、モンブランに一つ。
「この秋の新作ですよ」
 言葉に促されるように口にして――あっ……――アイネズが小さく声をあげた。驚いたような不意を衝かれたような顔。手にした小さなカップを一度確かめて、再び口をつける。途端に明らかな笑みが広がった。
「……これ、美味しいわ」
「そうだな、なかなかいい。これは葡萄か」
 甘さの中に上品な苦みがあるが、後味はすっきりしていて飲みやすい。ワインのような芳醇な香りと、液体の赤みの強さは、おそらく――
「赤葡萄の皮を色味づけに混ぜております」
 思った通りの答え。その皮が色だけでなく、ほのかな苦みを与えているのだろう。
 本当に気に入ったのかアイネズは試飲をさっさと飲み干してしまっている。
「これ……一つ買うわ。これならセリーナも気に入る……」
「そうか、わかった」
 大中小三種類の缶の中から、手頃なサイズである中くらいのものを取る。缶をアイネズに見せ確認すると、頷きが返ってきた。販売員に缶を渡し、モンブランは自分の財布から金を出す。
「……お金」
 アイネズの呟きは短い笑いで受け流す。
「これは俺から君とセリーナ殿へ。一つくらいは、な」
「……ありがとう」
「他にも気になるものがあるのなら、選ぶといい。色んな種類があれば、その時々の気分で茶葉を変えて楽しめる」
「そうね……。じゃあ……」
 アイネズは幾つかの茶葉を指差して、その特徴を確認してきた。どんな時に飲むのか、茶を飲むときに何を茶請けにすることが多いか、そんなことを聞きながら幾つか提案する。
 結局、最初の葡萄のものと合わせて四つの茶を購入した。
「飲むのが……楽しみだわ。明日の、お茶の時間が」
 モンブランの持つ紅茶の入った袋を見つめて、アイネズが笑う。
「午後の茶の時間だけでなく、朝起きた後、時間があるなら茶の一杯でも飲むとすっきりするぞ」
「そう……でもセリーナは寝起きが悪いから」
「フッ――そうなのか。だが、尚更、そういう時に飲むと目覚めが早くなる。少し渋めのものが向いているが――今買った中にも、良いものがあったはずだ。君がセリーナ殿に淹れてあげたらいい」
「――あたしが」
 思いもしないことを言われたとでもいうような、どこか呆然とした反応に笑いを誘われる。確かに率先して茶を淹れたりするアイネズなど思い浮かばないが、敢えて突っ込む。
「なんだ。普段茶を飲むときは、やはりセリーナ殿が淹れるのか?」
「そう……でも……絶対、ということも、ない……けど」
「君が、朝、茶を淹れたらセリーナ殿が喜ぶかもしれない」
「……そう、かしら」
 セリーナが喜ぶ。
 その言葉に少しその気になっているのがよくわかる。
 アイネズが朝から茶の準備など始めたら、その意外性に一気に目が覚める気がしないでもないが――そんなことはもちろん口にはしない。
「後で、淹れ方を簡単に教えよう」
 見下ろした視線の先の金色の頭が縦に一度動いた。
「よし――では最後に一カ所だけ覗いて、東庭に移動するか。そろそろ休憩した方が良いだろう」
「あたしは、まだ大丈夫だけれど……良いの?」
「全部覗いてはキリがない。俺が持てる荷物の量も限界があるしな」
 左手に持った大きな袋を掲げて見せる。姉に頼まれたもの、自分とマクシムが飲むためのもの、そしてアイネズが持ち帰るもの、そのすべてが入った袋は実はかなりの重量だ。アイネズは小さく笑った。
「おそらく少し混み合っていると思うが――大丈夫か?」
「――ええ、構わないわ」
 右腕にかかる力が少し強くなる。茶葉のものとは違う、仄かに甘い香りが近くなった。
 大丈夫とは言うが、念のため顔色を確認する。白い頬には、健康的な赤みが指していた。言葉通り調子は良さそうだ。
「辛かったらすぐに言うんだぞ」
「――ええ……わかった」
 漂う茶葉の香りの中、行き交う人の中を、無理のない速度で歩を進める。アイネズの歩幅に合せ、いつもよりはずっとゆっくり目に。
 人の流れは途切れることがない。アイネズは本当は人ごみが苦手なはずだが、楽しんでいるからか、今日はあまり気にしていないようだ。
 西庭の中央。一際大きなスペースをとった店舗にたどり着く。この催しの主催である会社が出している店だ。このイベント限定のブレンドが販売されているらしい。
 人というものは限定という言葉に弱い。その為か、多くの客で賑わっていた。
 モンブランは別に限定に弱いというわけではないが、特別なブレンドともなれば興味を惹かれる。他の商品には目もくれず、目当ての商品の試飲を求める。
 一口含んで
「――ふむ」
 微妙な味わいに、首を捻る。色んな茶葉が混じり合っていることがわかるが、それが喧嘩をしているような気がする。悪くはないのだが――もう一口飲んで、やはり印象は変わらない。
 同じように試飲をしていたアイネズも、眉根を寄せていた。
 販売員に茶について問おうとしたところで、新たなカップが差し出される。
「こちらもどうぞ」
 戸惑いながら受け取る。カップの中に視線を落とせば、乳白色の液体が満ちている。どうやらミルクティーのようだ。
 アイネズと視線を交わして、同時に口を付ける。
 直後、二人の赤い瞳が大きく瞠られた。
「……おいしい」
「これは、また……まったく印象が変わるな」
 二人の驚きを見て、販売員の顔にしてやったりと言った笑みが浮かぶ。
「この茶葉はミルクティーにした時に、最も風味を引き出すようにブレンドされたものですから」
 最初にストレートで提供し、後からミルクティーにしたものを出して、落差を味わわせる。この意外なほどの味わいの違いは、飲んだものの心を掴むはずだ。
「まったく……人が悪いな」
 商売とはそういうものだということは理解できるが、完全に嵌められた気がして、面白くはない。苦笑いで飲み干したカップを販売員に戻し、特製ブレンドの入った缶を手に取る。
「アイネズは、どうする」
「……おいしかったから、買って帰るわ」
 二つの缶を販売員に手渡す。満面の笑みで販売員は缶を包み始めた。意外性を利用した販売戦略は成功しているようで、他の客たちも試飲の後、次々と缶を手に取っている。
 くすっ――と小さな笑い声。アイネズが口元に手を当てて笑っている。
「これは……やっぱり最初はストレートで淹れるのが良いわよね」
「フッ――そうだな。俺達が味わった気分を、同じように味わって貰いたいところだ」
 マクシムに振る舞う時の事を思う。おそらく彼は微妙な顔をしながらも――これは面白いね――と無難な反応をすることだろう。不味いわけではないから否定はしない。そこにミルクを注いだものを出してやる。きっと飲んだ瞬間は驚いて、楽しげに笑うに違いない。
「――覚えておくわ」
 アイネズの微笑みは、モンブランと同じことを想像しているのを伺わせる。
 特製ブレンドの茶を淹れた時の親友の事を想い、二人は笑みを合わせた。


     ◇


 買い物を終え、モンブランとアイネズは東庭に移動した。
 茶の販売会場だった西庭とは別に、東庭の方にはテーブルが設えられ、のんびりと座って茶を飲むスペースになっている。
 庭入口前方には、様々な軽食や菓子の並んだ長テーブルがあり、好きなものを自由にそこから取って購入する仕組みだ。
 茶の方は、普通の喫茶店のようにウェイターに注文することも可能だが、茶器と熱いお湯を頼めば、西庭で購入した茶を自分で淹れて飲むことが出来るのが、このイベントの特色である。
 イベントの性質上、茶を飲むことを趣味とする人間が多く訪れているためか、茶を直接注文するよりも、自ら茶を淹れているテーブルが多いようだ。
 当然、モンブランも購入したものの中から一缶を選んで、自分で淹れることにする。購入してきた菓子類――アイネズが心を惹かれたものを言われるままに取ったので、それなりの量になっている――に合わせて、すっきりした飲み口のものを選択した。
「……いいの? 開けてしまって」
「たくさん買ったから、別に構わない。今すべて飲めるわけでもないしな」
 しっかり温められた白磁のポットにティースプーンで茶葉を入れる。一杯が一人分、それを三杯。
「茶葉は人数分より一人分多めに入れると味に深みが出る」
「……贅沢な感じね」
「フッ――まあな。湯は一人分百六十くらいだ。俺はだいたいの目分量で淹れるが、最初は測った方が良いかもしれん」
 熱湯の入った銀のポットから湯を注ぐ。慣れからくる感覚で、注ぐ量を決める。使っている器具は違うが、体の方に身に着いているもので何となくわかるものだ。
 素早くティーポットの蓋を閉め、ティーコジーをかぶせる。テーブルの上に並ぶ三つの砂時計から、中くらいのものを取って、ひっくり返す。橙色の砂が流れ始めた。
「この茶はだいたい四分くらい蒸らした方が良い。茶葉が細かい場合は、もっと短く三分。濃く入れたいなら五分。ミルクティーにする場合は蒸らし時間は長めがいいから、五分だな」
 ハーブクッキーを手に、アイネズは瞳を瞬かせる。ほうっ……と感心したような嘆息。
「……色々あるのね。ただお湯を注げば良いだけかと」
「茶葉に合った淹れ方があるからな。パッケージにその点はちゃんと書いてあるはずだ。それに忠実に淹れれば美味く飲める」
 砂が落ちるのを眺めながら、茶菓子を抓む。テーブルの上にはティーセットのほかに色とりどりの菓子が並んでいる。
 それを一瞥して、モンブランは小さな笑いを落とす。
「まったく……君はこんなに食べられないだろう」
 アイネズはピンク色のマカロンを一口齧って呑み込んだ。
「……みんな、可愛くて……美味しそうだったから……」
「まあ、どれも女性なら喜びそうなものばかりだな」
「それに……持ち帰りにしても、構わないって、言うし……」
 確かにそう言っていた。残ったら持ち帰り用に包んでくれると。それにしても、多いような――トリュフ、クッキー、マカロン、プチケーキ、スコーン――複数人で楽しむ茶会の菓子くらいの量がある。
 消費できないのは間違いないし、持ち帰るにも多いのは確か。それでも今日はどことなく顔に出るほどに嬉しそうなアイネズを見れば、モンブランは何も言えなくなる。菓子を選ぶ時も、本当にうきうきと楽しそうで、言われるままに皿に載せてしまった。
 胸の内で自分を笑う。合理的ではないが、悪くはない気分だ。
「――あっ……」
 小さなアイネズの声。砂時計の砂が落ち切っていた。
 ポットと揃いの白磁のカップを二つ自分の前に並べ、ティーコジーを外す。カップをソーサーごと一つ左手に、椅子から立ち上がる。アイネズが首を傾げたが特に反応は返さず、右手でポットを持ち上げて――高い位置から落とすように茶を手にしたカップに注ぎ淹れる。
 アイネズの赤い瞳が丸くなった。口元に手を当てて、息を止めるようにしている。
 半分くらい注いだところでもう一つのカップを取り、同じように注ぐ。同じだけ注いだ後、また最初のカップに戻り、以後交互に注ぐようにして最後の一滴まで注ぎ切った。目分量で入れた湯の量は丁度良かったようだ。
 カップの一つをアイネズの前に滑らせる。
「――どうぞ」
 多少かしこまり、わざとらしいくらいの動作で。赤い瞳はまだ瞠られて、呆然と目の前に置かれたカップに落ちる。
 モンブランも自分の分のカップを手前に引いて腰を下ろした。
 カップを取り上げて口元へ。香りを吸う。瑞々しい香りが胸の中に広がる。充分に蒸らされた茶葉から漂うものだ。
 口に含めば少し苦みが強い液体が滑り落ちる。苦みは長くは残らず、爽やかな後味に変わる。ハーブクッキーを一つ抓んで齧り、紅茶をもう一口。予想通り茶菓子に合う味だ。
「……ねえ」
 ティーカップを両手で包み込みながら、アイネズがこちらを見ていた。首を傾げて先を促す。
「さっきの……淹れ方」
「ああ。まあ、普段はやらないんだがな」
「? そうなの?」
「あれはちょっとしたパフォーマンスみたいなものだ。ああして高い所から注ぐと、茶が空気を含んで美味しくなる、という話もあるし、特に無意味なのでそんなことをする必要はない、という話もある。俺もどちらかというと、特に意味はない、という方に賛成なんだが」
 眼鏡の弦を押し上げて、小さく咳払いを一つ。
「今日はまあ……場の雰囲気に合わせて、特別に、な」
 アイネズの目の前で初めて淹れる茶。何となく格好つけたいという思いが働き、やってしまったことだ。あれこれ聞かれると、恥ずかしさが湧き上がる。
 ちょっとしたことで零してしまいかねないような淹れ方。茶の味わいに明確な違いが感じられないとなれば、非効率な淹れ方などしても仕方がない。以前にやったのは、マクシムに見せた時だけ。あの時の彼もひどく感心していたが、あまりにも真っ直ぐに称賛されて、恥ずかしくて居たたまれなかったものだ。
 当然、今も。
 そんなモンブランの内心を知ることもなく、ただただアイネズは感心しているようだ。
「すごく、綺麗だったわ……周りの人も、注目していたみたい」
 確かに注いでいるときに周囲で小さなざわめきが起きて、視線が幾つも集中してくるのを感じた。
「パフォーマンス、だからな。目は惹くだろうし――」
「……見ていて、楽しかったわ」
「――そうか」
「それに、なんだかあんな風に淹れてくれたお茶なら、きっと……」
 アイネズはティーカップを口に運ぶ。ゆっくりと一口、味わうようにしている。白い喉が動いて――目元が和んだ。形の良い眉が、柔らかな曲線を描く。
「……美味しい。紅茶って、こんなに美味しく淹れられるものなのね」
 まさに感嘆といった呟き。口の中で転がすようにしながら、大切にじっくりと味わっている。本当に、心から美味しいと喜んでくれているのがわかって、モンブランは安堵する。
 アイネズはトリュフを口に入れ、紅茶を飲み――また仄かな笑みを浮かべた。
 言葉もなく、茶を飲み茶菓子を口にする。茶が良いものだからか、菓子を抓む手が進み、多いと思っていた量が意外に消費されていた。
 アイネズのカップが空いたのを見て、追加を淹れることにする。贅沢ではあるが茶葉は入れ替える。ティースプーンでまた三杯。湯を先ほどと同じ量だけ入れて、ティーコジーをかぶせる。再び逆さにされる四分の砂時計。
 何を思ったのか絹の手袋に包まれた手が伸びてきて、砂時計を引き寄せた。顔を近づけるようにして、砂が落ちるのを覗き込む。耳元の金髪がさらりと流れた。
 沈黙に、砂時計の流れ落ちる音が聞こえるような気がする。
「……ねえ」
「ん?」
「いつもお茶を淹れているって……言ってたわよね」
「ああ」
「それって、寮とかで……皆の為に?」
「いや。マクシムといる時だけだな。俺が茶や珈琲を淹れることを知っているのは、マクシムだけだ」
 学園の他の誰も、モンブランが茶を淹れたりマメに身の回りのことを行うのを知りはしない。そのすべては唯一マクシムの前でだけ行われることだ。
 モンブランが淹れる茶は、寮の部屋や、生徒会室で二人の作業が行われるときに出されるもの。長年一緒に学園にいてそれなりに親しいと思われる相手にも、一度たりとも振る舞ったことがない。
「マクシム様だけ……ね」
「――そうだな」
 砂時計から離れた赤い大きな瞳。真っ直ぐにモンブランを見据えてくる。薄い唇の端が僅かに上がった。
「……マクシム様は、ずるいわ」
 目の前の顔に浮かんでいるのは、少し苦みを含んだ笑み。どこか焦れたような色を含んでいる。
「……セリーナを独り占めしようとするし」
 言葉の響きは悪戯っぽく


「――アナタのお茶を独り占めしているなんて」


 モンブランの呼吸を止めた。
 向けられた微笑みは淡く儚い。届けられた言葉は冗談を言っているかのようで、奥底には真剣なものが垣間見えた。
 体から力を抜くようにして、深く大きく呼吸を再開させる。意識してモンブランは口を横に引いた。
「また機会があれば淹れる――君の為だけに」
 視線を合わせる。口元に纏った笑みが少し深くなる。
 時を告げる橙色の砂が、綺麗に流れ落ちた。


     ◇


 ストレートで淹れた茶を出すと、一口啜ったマクシムは、思った通りの表情をした。何かを思案するような、考え込むような。首を捻って
「――これは面白い……不思議な感じだね」
 殆ど想像した通りの言葉を口にする。
 あまりにも予想通りだったので、吹き出しそうになるところを堪えながら、何でもない顔で
「まあ、そうだな」
 と、適当な相槌を打ち、自分も同じように茶を啜る。再び飲んでも最初に口にした時と同じ印象。マクシムの感想は正しい。
 黙ったまま二人とも茶を飲み干す。いつもより飲みきるのが早い。普段ならば茶の味を楽しみながらじっくりと飲むのだが、そうする気分ではないような味だということだ。
 マクシムは口元に手を当てて、茶の入っていたカップを見つめながら、まだ考え込んでいる。
 そんな様子を見ながら、調理場に向かい、既に湯を淹れて頃合いのもう一つのポットと食堂で買ってきたミルクを手に戻る。
 マクシムの視線がこちらに向くことを意識しながら、再度カップに茶を淹れ、そこにミルクを注いだ。濃い赤茶の液体が柔らかな白で満たされていく。
 鳶色の瞳を見つめ、目線だけで飲むように促す。
 頷きが一つ。
 マクシムはそっとミルクティーを口にして――切れの長い瞳が大きく瞠られる。瞬間モンブランの方を見て、すぐにカップの面に視線は戻る。不思議なものでも見るようにティーカップに据えられた鳶色の瞳。
 まるで確かめるようにマクシムはカップの中の液体を再度口にして、息を吐いた。
「これは……凄いな。先ほどのと同じ紅茶だよね?」
「ああ。最初のものにミルクを入れただけだ。蒸らした時間も変わらない」
「ミルクを入れただけでこんなにも変わるなんて……驚いたよ」
「意外性があるだろう。販売の時もこんな感じで最初にストレートを飲ませて、後からミルクティーを出してくるものだから、まんまと釣られてしまった」
 苦々しさを言葉に込めると、マクシムは楽しげに笑いだす。
「フフッ――なるほどね。確かにそんなことをされては釣られる……商売が上手いな。これは飲まされた人は皆買ってしまうのではないだろうか」
「大人気だった。ミルクティーの方がよっぽど口に合わないということでなければ、買わされるだろうな」
 マクシムは笑いながら頷いている。
 再び口に運ばれるミルクティー。喉を滑り落ちると、また新たな笑みが広がる。
「うん……本当に美味しい。色々買って来たみたいだけれど、これは他のも楽しみだな」
「フッ――こんなに意外性のあるヤツはこれだけだ。後はまあ、幾つか珍しいフレーバーティーと、硬い苦みが面白かったものと、ごく普通に飲めるものを選んできたが……ああ、それと少し珍しい東の国の茶を買ってきた。これは一度淹れ方をしっかりと調べないと巧く飲めないかもしれないが……」
「貴方が選んでくれたもの、淹れてくれるものに間違いはないよ。どんな時に、どんなお茶を出してくれるのか――本当に楽しみだ」
 ティーカップがソーサーに置かれる硬い音。
 音に惹かれるように顔を巡らせれば、いつの間にかマクシムが真っ直ぐに視線をこちらに向けていた。
 受け止めて、僅かに首を傾げると、ふんわりとした笑顔が――その笑みは普段皆に向けているものとはどこか違っていて


「僕は贅沢ものだな――貴方の淹れてくれる美味しいお茶を独り占めにしているなんて」


 あの時と同じように、呼吸が止まった。
 耳に熱が籠るのが感じられる。
 慌てた様子を悟られないように、ゆっくりと顔を背ける。短く舌打ち。
「――別に、たいしたことではないだろう」
 乱暴に吐き捨てた言葉が照れ隠しなのは完全に見抜かれている――そんなことはよくわかっている。感じられる笑みの気配は明らかに深く濃くなっている。優しい色をした視線がモンブランを見ている。
 ぎこちない動きでティーカップを取り上げて煽る。
 喉を滑り落ちたミルクティーは、砂糖を入れてもいないのに、ほのかに甘い気がした。


Alles-für-sich-Behalten-独り占め-




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