ククリア学園 東の空に浮かぶ月

ククリア学園

-Astorni & Isukarna-

東の空に浮かぶ月

 
 ヴァーノン・クッシュの内心は、複雑だった。
 たとえるなら、今にも雨が降りそうな分厚い雲が渦を巻いている空に、所々空いた穴から青空が見えている、というような心境。泣きたいような、笑いたいような、逃げ出したいような、ほっとしたような。
 アストルニ学園と、聖イスカルナ女学院の交流会、その2日目。
 実際の空模様は、雲ひとつない快晴、とまではいかないものの、さわやかな初夏にふさわしく晴れ渡っていた。傾きかけた陽が、庭園で笑いさざめく両校の生徒たちの影を長く伸ばし始めている。日中は上着を脱ぎ、袖をまくるほどだったが、夕方になって吹き始めた風に、今は少し肌寒いくらいまで気温が下がってきている。
 昨日よりは幾分緊張の解れた和やかな雰囲気の中、飲み物のグラスを片手に、あるいは菓子や軽食に手を伸ばしながら、思い思いの相手との歓談を楽しむ若き紳士淑女たち。順調に交流会が始まって30分ほどたったころ、会場前方、料理の並べられた会食スペースで、軽いどよめきが起こっていた。
 一角に設けられた丸テーブル。その上の料理が異常に減っている。テラスハウスからは定期的に、庭園の職員が補充してくれているというのにだ。
 テーブルの傍に立つのは、二人の乙女。一人はつややかな黒髪を一つにまとめ上げ、濃い青のドレスにグレイの短いボレロを着ている。もう一人はオレンジ色のドレスで、同色のリボンを編みこんだ亜麻色の長い髪を顔の横で束ねている。親しい間柄なのか、二人は楽しげに笑いあいながら料理を口に運んでいる。テーブルに料理が少ないこともあって、テーブルの傍には誰も彼女らの他にはいなかった。
 ヴァーノン・クッシュの内心は、複雑だった。泣きたいような、笑いたいような、逃げ出したいような、ほっとしたような。
 ヴァーノンの立つ位置からは、二人の乙女の顔はしかとは見えなかったが、幼馴染二人であることは確認するまでもなく明らかだった。
 回れ右をしたい足を必死で抑え、しかし直接声をかけることはできず、ヴァーノンは二人の背後に近付くと、大袈裟にため息をついた。
 二人の乙女が、同時に振り返る。
「あら。いたの、ヴァル」
「ほらね、言ったとおりでしょう?」
 さほど意外でもなさそうに黒髪の乙女 ―――アルチャ・アルティスが言えば、亜麻色の髪の乙女 ――― リリス・リンツがパンと両手をたたいて自慢そうに言った。
「なにが言った通りだって?」
「この人数だから、むやみに探しまわっても会えないかもしれないから」
「人目を引くほどお料理を頂いてたら、きっとヴァルの方から見つけてくれるわよねって」
 作戦成功、とばかりに嬉しそうなリリスに、アルチャは苦笑することしきりだ。
「リリスは、ただ食べたかっただけでしょう」
「あら! そういうアルだって、喜んで食べてたじゃない」
「う……、まぁ……、昨日はろくに食べられなかったしね」
「どう? シェフ・マレットのお料理は最高でしょう?」
「えぇ、噂には聞いていたけど、噂以上ね。甘いパイも甘すぎない上品なお味で、いくらでもいけちゃうわ」
「昨日は、お魚やお野菜の甘くないパイもたくさんあったのよ。今日のテーブルにはなかったけど」
「あぁ、なら他のテーブルにあるのかもしれないわね。是非食べてみたいわ」
「パイもサンドイッチも、小さくて食べやすい大きさなのに、しっかり食べ応えがあって」
「ケーキの一つ一つの細工も素晴らしいわね。小さいのに細かな装飾がされてて、見た目にも華やかで。盛り付け方も勉強になるわ」
「そういうもの?」
「そういうものよ。こういった場所では特に、お料理の見た目というものも大事なの。最初に盛り付けた時も、取り分けた後も美味しそうに見えなくては」
「大きくデコレーションしてあるのは、見応えがあって、食べ応えもありそうよねぇ」
「丸ごと行けるあなたはともかく、普通は一度に全部は食べられないんだから、残った部分のことも考えないと…」
「ストップ!」
 尽きそうにない二人の料理談議を、いつまでも聞いているわけにもいかないヴァーノンは、両手を広げて割って入った。
「盛り上がってるところ申し訳ないが、お嬢さん方、お食事を十分堪能されたようなら、出来れば向こうの歓談スペースに移動したいのだが……いかがだろうか」
「やぁね、ヴァル、なにを言ってるの」
 二人の乙女は口を揃えて言った。
「まだ食べるに決まってるでしょ」
 ヴァーノンは今度こそ、回れ右をした。

   ☆★☆

「とりあえず、……久しぶりと、言っておこうか、リリス」
 歓談スペースのベンチはどこもいっぱいだったので、3人は一隅にて立ち話をすることにした。
「そうね。 ――― 半年ぶり、くらいかしら」
 リリスの手には、大小様々な菓子の載った皿がある。まだ料理に未練のある女性陣と、一刻も早く遠ざかりたいヴァーノンとの妥協点として落ち着いたのが、「持てるだけ持って移動する」という結論だった。先程までいたテーブルとは、違うテーブルから取り分けたからか、目新しい料理の数々に、アルチャが感嘆の声をあげている。
「ゴディバさんじゃなくて、悪かったわね」
 何気なく、うんと相槌をうちかけて、ヴァーノンは慌てて取り繕う。
「いや、そんなことはないよ」
 アルチャが軽くふきだす。
「どっちなのよ」
「両方……かな」
「―― 相変わらず、はっきりしない男ね」
 リリスもくすりと笑った。
「そもそも ――― 彼女は何なの?」
 交流会1日目の昨日、リリスと入れ替わって高等部会場へとやってきた聖イスカルナの中等部生、ゴディバ・ヒューイット。ヴァーノンとしては、突如現れた中学生に困惑を覚えたとしか言いようがない。
「言うならば……、あなたが王子様に見えてしまった、奇特な後輩、と言うところかしら」
 アルチャが茶化して言うと、ヴァーノンは大袈裟に肩をすくめてみせた。
「……そいつは、御愁傷さま」
「 ――― そうは言うけど、そもそも、あなたから声をかけたんでしょう?」
「声をかけたというか……、君だと思ったんだよ、リリス」
 先月、入寮して一週間が過ぎた頃、駅前のバスターミナルで、掲示板を睨んでいる聖イスカルナ女学院の制服を見つけた。乗るべきバスが見つからないのか、あちこちの乗り場の掲示板を確認している。その背格好からリリスだと思い、ヴァーノンは声をかけたのだ。「3年も通ってて、未だ帰るバスも覚えられないのか」と笑ってやるつもりで。ところがそれが、3年どころか中等部に入学したばかりのゴディバだったというわけだ。
「わたしが迷うわけないでしょう」
「だよね……」
 空になった皿を持って、アルチャが料理テーブルへと戻っていった。数十あるテーブルに並ぶ料理は、どれも同じものがないように見える。「全種制覇したいわね」とアルチャは意気込んでいた。
 その後ろ姿が、人混みにまぎれて判らなくなるまで見送って、リリスが口を開いた。
「ヴァル」
「―― うん?」
「アルが、昨日なにを言ったのか知らないけど ――― 、ゴディバさんのこと、別に今すぐ、どうこうしろってことじゃないわよ」
「―― 判ってる」
 ヴァーノンは庭園内を回っている給仕から飲み物のグラスを二つ受けとると、一つをリリスに手渡した。リリスも素直に礼を言って受け取ると、口をつける。
「――というか、どうもできないよ。そもそも、うちもそっちも、男女交際は禁止だろ?」
「えぇ。―― だから、ただ……、会わせてあげたかっただけ。どこの誰かも判らないのでは、あまりに可哀想だし……。だから、あなたにも、知っていて欲しいだけ。彼女のことをね」
 リリスの目は、未だ人混みに消えていったアルチャの後ろ姿に注がれている。親友の内心をも代弁しているようだった。ヴァーノンは小さく、うんと頷いた。
「……それは、構わないよ」
「それにね」
 リリスはくるっと振り向き、友をからかうように笑うと、白いレースの手袋をつけた手の人差指を、ぴんと立ててくるくるとまわした。
「これから始まるのも素敵じゃない。 ――― 『交際』って言っても幅広いでしょう。手紙のやり取りくらいは、アストルニでも許されるのではなくて? 中等部のころ、何度か送ってくれたじゃない」
「手紙ね……」
 確かにヴァーノンは、中学生のころには何度か、聖イスカルナ女学院の寮に暮らすリリス宛に、手紙を送ったことがある。そのほとんどが、季節の便りを送ってよこしたリリスへの返信という形であったが。
「―― 考えとく」
「えぇ。よろしくね」
 まもなく、皿に新たな山を築いたアルチャが戻ってきた。「料理は見た目も大事」というだけあって、皿に盛られた料理の量は多いが見苦しくはない。しかし食べきれるのかとヴァーノンが心配すると、当然だと答えが返ってきた。初見だと言うココア色の焼き菓子に手を伸ばしたリリスと、さっそく取り合いを始めている。その姿は、おやつの取り合いをしていた小学校の頃となんら変わらないなと、ヴァーノンは懐かしく微笑った。
 ふいに、辺りに軽いざわめきが起こった。何事かと辺りを見回すと、腕章をつけた学園の生徒が何人か、バタバタと何かを探している様子だった。交流会を運営する役員にあたっている生徒たちだ。その中に一人、同級生の顔を見つけて、ヴァーノンは呼びとめた。
「何かあったの?」
 呼びとめられた彼は、リリス達に気付いて軽く一礼すると、大したことはないと首を振った。
「こっちじゃない。中等部の東庭で、ちょっとトラブルがあって」
「トラブル?」
「大したことじゃない。 ただ、一生徒が治めるより、会長から治めてもらった方が角が立たないだろうってことで、会長を探しに来ただけだ。――― 乙女さま方にも、お騒がせして申し訳ない」
「いいえ、お役目、御苦労さまです」
 リリスが余所行きの笑顔で言うと、彼は軽く微笑み、「それでは失礼します」と足早に離れていった。
 ヴァーノンは、宵闇の降り始めている東の空を仰ぎみた。東西の庭の周囲には、それぞれ植え込みが設けられているし、間には前庭も挟んでいるから、当然西庭のここから、東の中等部会場を覗くことなどできないのだが。
「――……気になる?」
 友人の様子に目ざとく気付いたアルチャが、からかうように顔を覗き込む。ヴァーノンは慌てて首を振った。
「い、いや、別に」
 騒ぎは本当に大したことなかったようで、それ以降会場の空気は和やかなまま過ぎていった。
 その後も、3人はたわいもない話に花を咲かせた。主にアルチャとリリスが手にした料理について語り合い、時折ヴァーノンが口をはさむ。お互いの近況について教えあい、旧友たちの進路についても盛り上がった。

 陽も落ちきり、二日間にわたる交流会も終了の時刻が近づいてきた。
 飲み物のグラスを傾けていたリリスが、ふと思い出したようにあっと声を上げた。
「そうだ、ヴァルは中等部の方は判る?」
「中等部?」
「昨日の中等部の会場で、お話した方がいたの。わたし達が入れ替わっていたのを黙っていてくださって……。今日、事情を説明するはずだったのに、わたしがこちらに来てしまったでしょう? 後日でもいいから、なんとかして連絡を取りたいのだけど……。あなた知らない?」
「……と、言われてもねぇ……」
 ヴァーノンは困ったように頬を掻いた。
「僕はまだ、高等部に入ったばっかりだからなぁ。同級生の顔は何とか覚えたけど……。中等部生となるとさっぱりだよ。中等部の何年?」
「3年って仰ってたわ」
「てことは、1つ下か……。なら、中等部からの持ちあがりの奴なら、知ってるかもな。―― 名前は?」
「サー・レナルド・マクドナルド」
「レナルド・マクドナルド、ね……」
 忘れないように口の中で復唱して、ヴァーノンは1つ頷いた。
「判った、後で誰かに聞いてみるよ」
「ありがとう」
 ドレスの裾をつまみ上げ、リリスがおどけて一礼して見せる。別人だとわかっていても、その姿が昨日のゴディバの姿を思い起こさせ、一瞬ドキリとした自分にヴァーノンは目を伏せた。
 辺りは順次引き上げ始めていた。着替えが必要なイスカルナの乙女たちが先に、控え室のテラスハウスへ戻ろうと動き始めている。自分たちもそろそろ、と歩き出しかけたリリスたちを、ヴァーノンは呼びとめた。
「寮の部屋は、……前と変わってない?」
 あぁ、そうね、とリリスがうなづいて振り返る。
「高等部になって変わったわ。同じエナ寮だけど、東棟の三〇一号室へ。……ラブレターなら、いつでも待ってるわ」
「……君には送らない」
 当たり前よ、とリリスは破顔した。主語にアクセントを置いた、その言葉をヴァーノンから引き出しただけで充分だった。
「言付かるわよ。 ――― きっと喜ぶと思うわ」
 それじゃまた、と手を振って帰っていく二人を見送って、ヴァーノンは大きく息を吐き出した。東の空を仰ぎ見ると、細い三日月が頼りなげに瞬いていた。
 長かった1日が、ようやく終わろうとしていた。



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