ククリア学園 ソルの使い、エナの伝言

ククリア学園

-Astorni & Isukarna-

ソルの使い、エナの伝言


 アイネズは、人を待っていた。待ち合わせ時間は午前十時。現在十三分前。待ち人のことを考えれば、恐らく時間よりも前に来るはず――そう思い早目に来た。
 休日のフライダ中央駅前広場。同じように人待ちの者が多い。待ち合わせの目印として重宝される、メギア像があるためだ。二本の長い角を持つ馬に似た神獣メギア。凛々しく力強い肢体だが、瞳は思いの外優しい。高貴とも言える雰囲気を漂わせるその像で待ち合わせ、ほど近くにあるフライダ中央駅改札から出掛けるのが定番の流れだ。
 アイネズはメギア像に寄り添うようにして立つ。なるべく像に近い所で待つようにしていると聞いていたからだが――目の前に待ち人が現れた。視線が会う。切れ長の瞳が瞠られて、足が止まった。驚いているようだ。
 こっそりと胸の内で笑って、頭を深く下げる。近付いてくる気配がした。
「――アイネズ殿……」
 声にも驚きと戸惑いが明らかに乗っている。
「ご機嫌よう、マクシム様」
 アイネズは、そんな様子に敢えて気付かない振りをして、優雅に挨拶をする。
 マクシムは即座に姿勢を正すと紳士礼を返してきた。驚き戸惑ってはいても紳士たる振る舞いは忘れない――彼らしい――アイネズは、もう一度胸の内で笑った。
「ご機嫌麗しく――アイネズ殿」
「交流会以来……ですね」
「――はい。先日は色々とありがとうございました」
「いえ……お仕事お疲れ様でした。春よりもお忙しかったようですね」
 “本題”にわざと入らず、時候の挨拶的な会話を交わす。マクシムは落ち着か無げだが、真面目に言葉を返してくる。誠実で、紳士らしい態度だ。

 ――本当はすぐにでも、問い詰めたいでしょうに……。

 意地悪をしてしまっていることはわかっているが、アイネズは、何となくマクシム相手にはそうしたくなる。
 三度目の笑いを胸の内で溢して、アイネズは背筋を伸ばした。
「マクシム様」
「はい」
「――セリーナですが」
 その名前を出した途端、マクシムの雰囲気が変わる。緊張したのが伝わってきた。
 真っ直ぐに見つめてくる鳶色を受け止めて
「――今日は参りませんので、そのご連絡を、代わりに」
 静かに言い放つ。
 切れの長い瞳が大きくなり、緩慢な瞬きが、二度。息が呑まれたのが、わかる。
 今日、ここでマクシムと待ち合わせをしていたのは本当はセリーナだ。アイネズは、マクシムと個人的に待ち合わせる理由はない。それなのに、セリーナがおらず、アイネズがいたため、マクシムは戸惑った。必要以上に驚きも見せず、問い詰めてもこない態度はさすがと言えたが、今は瞳に動揺が伺えた。
「――アイネズ殿」
「――はい」
「セリーナさんは……」
「ですから、本日は参りません」
 端的にそれだけを述べる。取り付く島もない態度で。マクシムはゆっくりと癖の強い前髪を掻き上げて、そのまま額を抑えている。
 当然と言えば当然だが動揺し、困惑しているようだ。しかしそれでも――強い意思か、紳士として身に着いた矜持故か――アイネズに食い下がってはこない。

 ――さすがと言うか……つまらないわね。

 もっとあからさまに慌てるかと思ったのだが――アイネズは小さく笑って手提げ鞄から淡いピンク色の封筒を取り出し、マクシムに差し出す。
「セリーナからです」
 僅かにまたマクシムに緊張が走った。どこか呆然とした顔の前に更に封筒を突きつける。
 ゆっくりとした動きで、小さく頭を下げマクシムは封筒を受け取った――引ったくりもしないその完璧な紳士ぶりが、また少し面白くない。
 封はされていない封筒から取り出した便箋に、素早く鳶色の瞳が滑り――マクシムは、アイネズを見た。
「セリーナさんが――風邪を?」
 その声は少し掠れていた。
 アイネズは、深い頷きを一つ。
 セリーナは昨晩から高い熱を出し、今朝も下がらなかった。当然、そんな状態では外出など出来るわけがない。
 しかし今日は、マクシムとの待ち合わせがある。聖イスカルナ女学院から、アストルニ学園に連絡して外出のキャンセルをすることなど不可能――それ故に、アイネズがセリーナの代わりに、此処へ来たのだ。
「――セリーナさんは、大丈夫なのですか?」
 明らかな焦燥が滲む声。
「今朝方、校医の先生に往診して頂いたところでは……普通の風邪だと。今は処方していただいた薬を飲んで、休んでいます」
 あったことだけを述べる。マクシムは顔を歪めた。便箋を持つ手に力が籠って微かに震えている。
「――セリーナさん……」
 切なげな呟き。今すぐにでも、セリーナの下へ駆けつけたいに違いない。
 それは、不可能なことだけれど。
 アイネズは深く長く息を吐いた。事実は述べた。これ以上此処にいる理由はない。
「では、役目は果たしましたので、私はこれで――」
 一礼をして、別れを告げ
「――アイネズ殿」
 顔を上げると、真剣な思い詰めたような顔があった。
「はい」
「申し訳ない――少しお時間を頂きたい」
「はい……え?」
 真っ直ぐに据えられた鳶色の瞳は、有無を言わせぬ光を宿していた。





 フライダ中央駅から程近い所にある百貨店。開店直後のそこに、アイネズは連れてこられた。特に拉致をされたわけでもないが、何となく引きずられるような心持ち――マクシムが真剣で、どこか必死だったからだ。
 取るに足りない相手ならば、アイネズは願い――時間を頂きたい――など聞かず、そのまま立ち去るところだ。しかしそれが出来なかったのは、セリーナのこともあり、マクシムが自分にとって影響力を持っているからか――アイネズは、静かにため息を吐いた。
 百貨店に入っている雑貨屋で、温かそうな膝掛けを購入するマクシムの背中を見つめながら。
 この百貨店に入って五つ目の店である。一番最初にマクシムが真っ直ぐに向かったのは薬局だった。薬を処方してもらったと言ったはずだが、さっぱり忘れたのか聞いていなかったのか――マクシムは良く効くと評判の解熱剤を購入した。
 その後は日用品の店を二つ巡り、雑貨屋を梯子した結果の現在の店。回って来た所すべての店で買い物をしている。風邪予防の――既にひいているのだが――アロマセット、小さな簡易加湿器、寝る時に足が冷えないようにするもこもこの靴下、そして今購入した膝掛け。他にも細々したものが色々と入っていて、既に荷物はなかなかかさばっている。
 もちろんそのすべては今はマクシムが抱えているわけだが――隣のファンシー系ショップに飾られた大きないむいむぬいぐるみの前でマクシムが足を止めたところで、アイネズは遂に口を開いた。
「――マクシム様」
「はい」
 マクシムは珍しく上の空。顎に手を当てた姿勢で、いむいむから視線を動かさない。いむいむはとても大きく両手で抱えるほどで、柔らかく抱き心地が良さそうだ。セリーナはおそらく喜ぶに違いない。
 けれど。
「申し訳ありませんが……そんなに持てません」
 静かに斬りつけると、マクシムの体が震えた。こちらを振り返った顔は、呆然としていた。
 小さく笑って、肩を竦める。
「車で参ってはいるのですが……学院に着いてから寮まで運ぶことができませんので」
 いむいむぬいるぐるみがなくても、今の量を運べるかどうか既に怪しい。もっと早く止めるべきだったのだろうが、真剣にセリーナの事を考えてあれこれ選んでいるマクシムの様子に口を出すことが出来なかった。
「いや……確かに。これは申し訳ない」
 前髪を掻き上げるマクシムの頬には少し赤みが指している。普段の彼からすれば、恐らくらしくない行為。アストルニ学園の会長を務める賢明で思慮深いマクシムは、セリーナの事になるとまるで人が変わるとは聞いていたのだが、どうやら本当にその通りらしい。
 マクシムは困ったように笑った。
「今、この量でもアイネズ殿にお持ちいただくには少々多い……ですね」
「ふふ……そうですね。申し訳ありませんが、今買われた中から選ばせていただいて……そのいむいむも、本当に可愛いのですが」
「まったく――これを抱えて帰るのは、酷というものだ……申し訳ない。僕としたことが」
「――いえ」
 まだアイネズに特に何か負担がかかったわけでもない。その上、本当に、セリーナの事を想っていて、彼女の風邪に動揺している――そんなマクシムが見れたことは、楽しいことだ。
 マクシムはくすぐったそうな笑みを浮かべて、自分の頭を撫でている。
「今、買って頂いた膝掛けは色もセリーナの好みの色ですし、とても温かそうなので……そちらを頂ければ」
「はい、わかりました――後は……」
「残りは……またの機会にセリーナに直接」
「ああ、いえ……少々、失礼を」
 マクシムは思案するような様子で、近くの壁に掲げられたフロア案内図を見に行った。何かを探しているのか、首が動いている。
 アイネズもそちらに歩み寄る。マクシムの視線を追えば、一階の辺りで、動きが止まった。
 鳶色がアイネズを見る。
「アイネズ殿。最後に一カ所だけお付き合いいただけますか」
「? ……わかりました」
 ここまで付き合ったのだから、最後まで着いて行くに決まっている。
 マクシムの後に従って、アイネズは一階まで戻ってきた。一階の入り口近くにはフルーツパーラーがある。マクシムはその隣に併設されている果物の売り場に入って行く。甘い果実の匂いが鼻腔をくすぐった。
 ざっと店内を見回して、様々なフルーツが盛られた籠が並ぶ中からマクシムは、小ぶりのものを取り上げた。オレンジ、葡萄、リンゴにバナナ。ごく一般的な果物がかわいらしく籠に入れられている。大きさとしても小さめで困るほどではない。
「最後に、これを――お持ちいただければ」
 アイネズは小さく頷く。いい選択だと思った。
「わかりました――セリーナは葡萄が好きなので、喜ぶと思います」
「これくらいの量であれば、お二人で召し上がるにも困らないかと」
「……私も、ですか」
「お嫌いでなければ」
「――ありがとうございます」
 アイネズとマクシムは薄く微笑みを見合わせた。





 リムジンを待たせたロータリーまでマクシムは荷物を運んでくれた。
 運転手に膝掛けの入った包みを渡し、果物籠はアイネズが受け取る。
「色々と、ありがとうございます」
「いえ。セリーナさんを――宜しくお願いします」
 本当に心の底から心配そうな顔。出来ることなら、共に行きたいに違いない。
「ちゃんと伝えます……マクシム様が心配していたから、早く治しなさい……と」
「お願いします」
 深々と二人で頭を下げて、アイネズはリムジンに乗り込み
「あ……そうでした」
 見送るマクシムの方へ体を傾ける。
「ご存知かも知れませんが、今日は私も午後から約束をしているのです」
「はい、そう聞いています」
「申し訳ありませんが、今日は行けないと――あの人に伝えてください。セリーナが……心配なので」
 切れの長い瞳が軽く瞠られて、瞬いた。そして、何とも言えない複雑そうな表情になる。
「そう……ですか、わかりました。必ず伝えます」
「お願いいたします。また連絡をいただけたらとも……伝えてください」
「――はい」
「では……本日はありがとうございました」
「はい――本当にセリーナさんを……お願いします」
 切なげな、身を切られるかのような声音に、微笑みを返す。
 リムジンの扉が閉まり、エンジンがかかる。
 アイネズは窓の外で頭を下げるマクシムに、軽く頭を下げた。





 寮の部屋に戻ると、寝静まった気配。
 膝掛けの入った包みをセリーナの机の上に置き、ベッドを静かに覗きこむと、少し苦しそうな寝息をたてている。そっと額に手を当てれば、まだ熱い。
 朝、薬を飲んでからそんなに時間は経ってはいないから仕方がないとはいえ、やはり心配だ。
 枕元に果物の籠を置く。甘酸っぱく馨しい匂いが、微かに漂う。
 その香りが届いたのか、眉根を寄せていたセリーナの顔が少し綻ぶ。
 アイネズはその様子に優しい微笑みを浮かべて、柑橘色の髪を撫でた。





 モンブランは身支度を整えていた。
 今日は午後からアイネズとの約束がある。
 制服で外出し、着替えの方はちょっとした伝手――マクシムの伝手に世話になっているのだが――を頼りに、外でする予定だ。
 特にめかし込むことはしないが、念入りに髪を整える。着替えの服も既に準備されている。
 少し時間には早めではあるが、もうそろそろ出かけようかと思っていたところで、部屋の扉をノックする音。
 モンブランは眉をひそめる。
 普段、あまりモンブランとマクシム、会長二人の部屋を訪ねてくる者はいない。そんな中、訪ねてくる者がいるとすれば、何事かが起きての呼び出しである。
 こんな時に呼び出しなど、まったくもって歓迎できないのだが。
「――はい」
 返事をしながら扉を開けると、目の前に大きな紙袋。不意を衝かれ、扉を開けた姿勢で固まっていると
「ああ、モンブラン――良かったまだいたか」
 紙袋の陰から、聞きなれたマクシムの声がした。
 モンブランは更に驚く。
「――マクシム? どうしたんだ」
 今日は朝からセリーナとの外出で、夜まで戻らないはずではなかったか。
 マクシムは紙袋を自分の机の上に置いて、何だか哀しげな笑みを浮かべた。そして、淡いピンク色の封筒を差し出してくる。
 首を傾げると、受け取る様に促されたので、手に取る。封のされていない封筒。渡されたということは中を見ろと言うことだろう――中から便箋を取り出して、目を落とす。
 少し右上がりの、文字が紙面に踊っていて
「……セリーナ殿が、風邪で高熱?」
 その内容に、モンブランはマクシムの方を即座に振り仰ぐ。
 マクシムは辛そうに顔を歪めた。
「そうらしい。アイネズ殿が言うには昨日の夜から、だそうなんだが……」
「――そうか」
 ここのところ少し冷え込んでいて、それに伴う風邪が流行りだしていると聞く。セリーナはそれに捕まってしまったのだろう。
「それで、帰ってきた……いや、待て。では、この手紙は――ひょっとして」
 高熱で寝ているセリーナが、手紙を持参してくるはずがない。だとすると考えられるのは――それに今、さらりと言われた名前が。
 マクシムの眉根が困ったように寄る。
「そう――アイネズ殿が届けてくれた。セリーナさんが、今日、来れないから、と」
「やっぱりそうか……と、言うことは」
 閃いた一つの可能性。真っ直ぐに瞳を見つめると、重々しい頷きが一つ。
「アイネズ殿からの伝言がある――今日は行けないと、伝えて欲しいと」
 予想通りの言葉。それを受け止めて、モンブランは小さく笑う。
「そうだろうと思った。セリーナ殿が高熱では、アイネズは心配で側についていたいと思うだろう」
 アイネズにとって、セリーナは半身とも言うべき存在。常に側近くで、一緒にいる。モンブランと親しく付き合いをするようになっても、それは変わらない。
「また連絡をくれればと仰っていたが――なんだか申し訳ないな……」
「フッ――何故、君が申し訳なく思うんだ。もちろんセリーナ殿が申し訳なく思うこともない」
「秋の交流会が終わってやっと落ち着いたところだというのに」
「それはお互い、だ。それに、例えば今日寝込んだのがセリーナ殿でなく君だったとしたら――」
 するりと滑り出そうになった言葉をすんでの所で飲み込む。息を止めて、口の端を少し引き下げる。
 横目でマクシムを伺えば、鳶色の瞳が軽く瞠られて――柔らかな曲線を描いた。口元に手を当てて、微笑んでいる。
「――そうだね。例えば今日、寝込んだのが貴方だったとしたら、僕もそうしただろうね」
 当然、言いたかったのは同じ言葉だったが、視線を逸らして小さく舌を打つ。
「別に、気にせず出かければいい。俺は男だし、誰かが側にいなくても」
「フフッ――そうは言っても、貴方が寝込んでいるところでそれを気にせず楽しむなんて、出来ないよ――そうだろう?」
 同じ想いであることも見抜かれていて、それでも素直には頷けない。体温が上がっていることを意識しないようにしながら、顔を背けたまま咳払いを一つ。側にある笑みの気配がくすぐったくて、忌々しい。
「モンブラン」
「――ん?」
「外出の準備をしてしまったみたいだし、せっかくだから出かけないか? もう外出届も出しているんだろう?」
「――そうだな」
 それは普段と変わらない休日だが、悪い提案ではなかった。
「では――そう言えば、君が観たいと言っていた映画が無かったか。確かサスペンスの――」
「ああ、そうだね。貴方が良ければ、観たいところだけど」
「興味がないわけではないから構わない。もちろん君が、セリーナ殿と観ないのであれば、だが」
 マクシムは笑って首を振る。
「あの映画はセリーナさんは無理だ。サスペンスはサスペンスでもサスペンスホラーだから」
「フッ――ホラーが苦手なのだったか、セリーナ殿は」
「だから、今日観られれば嬉しい……時間的には、昼食をとってからの方が良いかな」
「そうだな……どうする? 学園の食堂で食べていくか?」
「――いや、せっかくだから、外で食べよう。サガン・シアターならラゴル亭から近い」
「ラゴル亭か、それがいいな。映画の時間を確認してから、ラゴル亭……といった感じか」
「それが良いと思う」
「では、さっさと出るか。もうラゴル亭も混みだす時間だ」
 頷きを交わして、準備をする。マクシムとの外出ならば服を着替える必要はないので、手早く片付ける。同じように外出時に着たのであろう服を片付けているマクシムを見て――彼の机に視線を巡らせる。扉を開けた時に驚かされた紙袋がそのまま乗っている。
「マクシム」
「? なんだい?」
「その紙袋はなんだ。やけに色んなものが入ってるみたいだが」
 何気ない疑問を投げかけたつもりだったが、マクシムはなんだか恥ずかしそうな、気まずそうな、普段はあまり見せない表情をした。
「それは……ちょっと」
「? 言えないようなものが入っているのか?」
「そういうわけじゃないんだけど……まあ、昼食の時にでも話すよ。先ほど会ったアイネズ殿のことと一緒に」
 なんだか色々と訳ありのような気もするが、とりあえずはそこまでにする。後で話すと言うからには、マクシムが誤魔化すことはない。
「じゃあ、行こうか」
「ああ、そうだな」
 モンブランとマクシムは連れ立って部屋を出る。
 部屋の扉を静かに閉め、鍵を掛けた。



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