ククリア学園 二人、年を重ねて―HAPPY NEW YEAR―

ククリア学園

-Astorni & Isukarna-

二人、年を重ねて―HAPPY NEW YEAR―

 
 年末、最終日、夜。
 マクシムは自室で書き物をしている。寮から帰省の際に持ち帰った生徒会資料。四月からこれまでのまとめをし、休暇明けにモンブランと確認、推敲出来るようにするためだ。
 そろそろ引き継ぎの準備も視野に入れなければならない。後任はこのままであれば、現高等部一年生徒会役員となるだろう。そして何人か現中等部三年から見込みのあるものを将来の役員として目星をつける――中等部三年数人の顔と名前を思い浮かべた。
 イスカルナ女学院との交流会復活もあり、今年は生徒会長として多忙を極めた。引き継ぎの諸事情で、昨年一月末から会長職について、ほぼ丸一年。何とか無事に乗り越えることが出来たとは言える。それもこれも相棒であり親友であるモンブランがいてくれたお陰――マクシムは微笑む。そう言えば彼は去年酷い風邪を引いたことを思い出した。例年にない冷え込みに加え、おそらく引き継ぎのゴタゴタで多忙だったせいではあるのだろう。今年はそんなことがなければいいのだが――流れるように、書面の末尾に署名を入れる。後はモンブランに確認をしてもらえば完成だ。
 静かにペンを置いて、書面を手に取る。素早く目を通しながら、小さく内容を呟いていると
「――マクシム」
 階下から母の声がした。
 すぐさま部屋を出て階下に顔を出す。
「電話よ」
 子機を手にした母は何故か楽しそうだ。首を傾げて受け取りに行くと
「――セリーナさんよ」
 思いもかけない名前が滑り出てきた。子機を素早く受け取る。母は小さく吹き出したが何も言わず、踵を返してくれた。
 軽く咳払いを一つ。子機を耳にあてる。
「――セリーナさん……?」
 呼び掛けると、ほうっ……と微かな吐息が耳を打った。
「――マクシムくん……」
 愛しい人の甘い声は、少し掠れていた。
「ごめんね……突然……」
「いや、大丈夫だよ。掛けてきてくれるなんて、嬉しい」
 また吐息が漏れる音――なんだか少し呼吸が荒い気がする。不思議に思い疑問を口にしようとして
「あのね……」
 囁きに言葉を飲み込む。
「うん……」
「その……」
 また吐息。大きく長い震え。
「えっと……今、近くまで来てて」
 マクシムは息を呑む。子機を握る手に力を籠めた。
「近く? 近くって、僕の家の?」
「うん……その、あんまりお家に近すぎると迷惑になっちゃうから――」
 セリーナは地元駅の名前を言った。
「そこまで、来てて……えっと」
「すぐに行く」
 マクシムは通話しながら自室に戻り、壁に掛かったコートを手に取る。
「すぐに行くから、なるべく明るいところに――いや、車で来ているんだろうから、車の中にいるんだよ」
 声の響き、荒い呼吸からすれば、今は外にいるに違いない。
「……うん……でも」
「すぐに、行くから」
 言い聞かせるように、念を押して通話を切る。居間に駆け込み子機を所定の場所に戻す。
 ソファに座って編み物をしている母が顔を上げた。
「ちょっと出掛けてくる」
 母は軽く目を瞠って――すぐに悟ったように微笑んだ。
「気を付けなさいよ」
「駅までだから、大丈夫」
「今夜はまだ寝るつもりはないけれど、遅くなるようなら、カギを持って行って」
「わかった」
「それと――」
 微笑みが深くなる。
「――セリーナさんに、よろしくね」
 当然のように見抜かれている。
 その言葉には小さく笑みだけを返した。





 マクシムの自宅から最寄り駅までは徒歩で十分。この辺りでは、そこそこの大きさの駅だ。駅周辺はそれなりに店もあり、夜でも明るい。
 それでも、こんな冬の夜にセリーナがフライダ中央に比べればまったく静かな駅にいるというのは、穏やかではない。自然マクシムの足は早くなる。
 十分の距離を五分でたどり着き、駅前の小さなターミナルを見回す。年の暮れの駅前は、まだ僅かに人影がある。楽しげに談笑してる集団。イルミネーションで飾られたショーウィンドウを眺めて笑う親子連れ。アルコールが入っているのだろう、調子の外れた歌声が遠く聞こえる。
 セリーナは間違いなくギローのリムジンで来ているのだろうと思ったが、一瞥したところ見当たらなかった。数台のタクシーと、一般的な乗用車が僅かに停まっているだけだ。
 目立つことを遠慮していたことからすればターミナルではなくどこか離れたところだろうか――周囲を見回し、駅正面の大通りの方へ体を向けたところで止まる。
 ターミナルの側。時計塔の足元に小さな人影。
 マクシムはすぐさまそちらに駆け寄る。
「――セリーナさん!」
 白いふんわりとしたコートを身に纏った人。薄闇の中でもわかる。駆け寄れば柑橘色の髪が跳ねた。
「――マクシムくん!」
 受話器越しに聞こえていた声が直に耳に沁みる。
 互いに駆け寄って、距離を詰め抱き合う。そのまま自然と唇が重なった。氷のように冷えきった感触に内心眉を顰めながら、熱を移すように濃く深く絡める。
「――まったく……車の中にいるんだよって言ったのに」
 咎めるように言うと、セリーナは困ったように小さく舌を出した。
「車は少し離れたところに停めて貰ったし……それだとマクシムくんにわからないから」
「こんなに冷えきって……」
 冷たい夜気に晒された頬は少しかさついている。
「ここはそんなに治安は悪くないけれど、こんな夜に一人でいるなんて、何かあったら……」
 強く抱き締める。自分の中の恐れを伝えるように。腕の中のセリーナは――ごめんね――小さく呟いて、顔をマクシムの胸に埋めた。
「……すぐ行くって言ってくれたし」
「それでも――無茶をし過ぎだ。あなたはギローのご令嬢なんだから、気を付けないと」
「……うん」
 柑橘色の頭が更に擦り寄ってくる。マクシムは優しくそれを撫で髪を梳いた。胸に深い息がかかる。
「セリーナさん」
「……うん」
「来てくれて、嬉しいよ」
 細い体が小さく震える。頭がゆっくりと動いて赤茶の瞳が見上げてくる。
 いとおしいひと。誰よりも大切な人が思いもかけず、自分の側にいる。
 無茶をするなと咎めても、嬉しい気持ちは本当だ。
「でも良かったのかい? 今夜はギロー一族での年越しの会があるって話ではなかたったかな?」
 直系から遠縁まで集まる大規模な会合だと言う話だったはずだ。問うように見つめると、赤茶はフイと逸れる。
「だって……」
 僅かに尖る唇。
「マクシムくんと一緒がいいもの」
「――」
 真っ直ぐな想いの籠った言葉がマクシムの呼吸を止める。
「今年を越すのは、マクシムくんと一緒がいい――」
「――セリーナさん……」
 赤茶の瞳が閃いてマクシムに向く。頬が紅潮しているのは寒さのせいだけではないのだろう。
「そう思ったら、じっとしていられなくて――」
 思い付いたら即行動することが多いセリーナ。今日もそうして、マクシムを想って来てくれた。
 マクシムは微笑む。頬をゆっくりと撫でて唇を啄む。
「――嬉しいよ……本当に」
「――マクシムくん」
「だけど大丈夫なのかな? 抜け出して来たんだよね?」
 セリーナは楽しげにマクシムの唇をマクシムがしたように啄んでくる。
「抜け出してはきたけど、多分問題ないかな……プロサールさんが連絡してると思うから」
 ギローの家でセリーナを始めとした子供たちの移動を受け持っている運転手。彼は見ている感じではセリーナに甘い。家の会合を抜け出してマクシムの元へ行きたいと言う希望を聞いたことからも明らかだ。
「とにかく」
 セリーナはマクシムの腕の中で胸を張った。
「あたしは、マクシムくんと年越ししたいの」
 厳かな宣言。
 特に言葉は返さず代わりに腰に回した腕に力を籠める。形の綺麗な耳元に揺れる緩く巻かれた髪を一房手に取り、恭しく口づける。そのまま柔らかな唇を――随分と温かになった――ゆっくりと絡めとった。





「今年が終わるまで、後一、ニ分か」
「今年は良い年だったわ……マクシムくんに会えたから」
「うん……そうだね。僕もそうだ。セリーナさんと出会って、セリーナさんが僕の気持ちを受け容れてくれた……本当に幸せな年だった」
 腕の中で細かな笑い。セリーナはマクシムの胸に頬を寄せている。
「これから先も、ずっと一緒にいてね……あたしとずっと……来年だけじゃなくて」
「もちろん――ずっと側にいさせて欲しい」
 微笑みを交わして、頬を触れ合わせる。額を寄せると、鼻と鼻が出会う。
「――愛してるよ、セリーナさん」
「あたしも――マクシムを誰よりも愛してる」
 時計塔が低い鐘を一つ鳴らした。
 一年が終わり、新しい時が刻まれる。
「――ハッピーニューイヤー」
「……ハッピーニューイヤー」
 マクシムとセリーナ。
 二人はお互いの境を無くすように寄り添って、新しい年を迎える。
 鐘の音が二人の上に静かに降り注いでいる――


◇◆◇


「そう、わかったわ。気を付けて帰って来てね」
 アデリーナ・ギロー女伯爵は、笑いながら子機の通話を切って、側に控えていたメイドに渡す。
「誰からだい」
 通話の終了を見て、傍らにやってきた夫ウィリーを見て、アデリーナはまた笑う。
「プロサールさんよ」
「――プロサールさん? 離れから電話……のはずはないよね」
 プロサールはギローの家に勤める運転手。彼も他の大勢の使用人と同じく、専用の離れで寝起きしている。年末のもうそろそろ日付が替わろうという頃合い。今頃は同じ離れで寝起きをしている者達とのんびりしている時間のはずだ。
 アデリーナはいつまでも少女のような愛らしい顔を綻ばせている。
「ふふふ――今、セリーナちゃん、いないでしょ。いつの間にか」
 ウィリーは目を瞠り、瞬きを三度。広間を見回す。
 ギロー一族の直系から遠縁までが集まっての年越しのパーティー。大勢の人間がそれぞれに談笑しているが、言われてみれば長女セリーナの姿がない。先ほどまでは弟妹、従姉弟達とゲームに興じていたように思うのだが。
「……まさか」
 閃いた一つの可能性。
 アデリーナは深く頷いた。
「そう――マクシム君のところに行ったのよ。プロサールさんに頼んで」
 予想通りの答えに、ウィリーは何とも言えぬ顔で、口を曲げた。マクシム――それはセリーナが大切な人だと言って連れてきた青年。貴族ではないが、名門アストルニ学園に通い、その双璧と名高い彼はギローの家としても申し分のない相手だと言えた。何よりセリーナ自身が選んだ相手。もともとアデリーナもウィリーも反対するつもりはなかったのだが――父親の気持ちとしては、そういうことは別である。こんな夜更けに一族の会合を抜け出してまで男の下へ娘が走る――複雑な気分だ。
 アデリーナはそんなウィリーを見て、面白そうに大きな瞳をくるりと回した。
「きっと一緒に年越ししたかったのね。セリーナちゃんは本当にマクシム君のこと好きみたいだから」
 それもわかっている。彼と二人でいる時のセリーナは、今まで見たこともないような表情をしていた。娘ではない、所謂――年頃の女性の表情を。
 ウィリーはしっかりと整髪料で整えた髪を撫でる。
「セリーナちゃんは……アデリーナさんに似ているね」
「あら? そう?」
「一度決めたら、真っ直ぐにやってくるところとか」
 もう随分と昔。
 まだアデリーナとの関係が微妙な距離感だった時だ。聖イスカルナ女学院に通う女学生だったアデリーナ。小走りに駆け寄ってきて

 ――ニコルズさん、今度、二人で遊びに行きませんか?

 真っ直ぐに、そう言われた。あの時の何とも言いようのない気持ちが蘇る。
 アデリーナは人差し指を口元にあてて、小首を傾げた。肩口で切りそろえられた黒髪が靡く。
「だって、ウィリーさんからは誘ってくれなかったから。もうだいぶ距離が縮まったと思っていたのに」
 そうは言っても、アデリーナはギロー伯爵家の令嬢であり、同時にウィリーにとっては上官の娘。その上、当時のウィリーは女性関係に懲りた直後。好ましいと思ってはいても、そう簡単に踏み出せる状況ではなかった。
「うん――って言うまでもなんだか凄く時間がかかったし」
「いや……まあそれは」
「私のこと、好きじゃなかった?」
「――僕は……」
「ふふふ。ウィリーさんは本当になかなか自分から来てくれなかったから。そうなったら、私から行くしかないでしょう?」
 そうした思い切りの良さが、きっとセリーナに受け継がれている。
 ウィリーは、アデリーナの小さな頭をそっと撫でる。アデリーナは嬉しげに瞳を細めた。
「さて……お母さんとお父さんに一応報告しないと、かな」
「きっとレンさんは、来年はマクシム君にも参加させろって言うだろうな」
 アデリーナの父であり、ウィリーの元上官であるレン・ギロー。レンは、ウィリーがアデリーナと婚約する前、そもそも交際を始める前から、年末のギロー一族の会合に参加しろと言ってきたくらいだ。
「そうねえ……きっとそう言うわね。マクシム君にも年末年始は都合があるでしょうに」
「今、セリーナちゃんが会いに行ってるならそこは大丈夫なんじゃないのかな」
「年末から新年初めまで――だとまた違うんじゃないかしら。まあ……」
 アデリーナはまた大きな瞳をくるりと回した。
「セリーナちゃん、今日は――帰ってこないかもしれないけど?」
 ウィリーはぐっと息を呑み口を曲げる。
 ころころと楽しげな笑い声が、アデリーナの口から零れ落ちた。



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